10月26日 チュンポーン 1日目
10月25日は夜7時30分の寝台列車でチュンポーンに移動します。
昼頃にカオサンの宿を引き払い、いったんファランポーン駅に出て荷物を預けてから、夕方まで冷房の効いたショッピングセンターで時間をつぶします。
ベッドができました。寝台列車に乗るのは久しぶりですし、上段のベッドは初めての経験でしたが無事登頂に成功しました。
10時以降は大きな音を出さないように注意がありましたが、みんな早々に寝床についたようです。
魚のフライは豪快ですね
カオサン周辺の屋台と比べると10倍くらいの値段です。安いものは徹底して安く、そうでないものもあるよ、というのがバンコクなのでしょうね。
時間つぶしも飽きたので午後6時少し前にファランポーン駅に戻ってきました。
構内は列車を待つ人達でざわざわしています。
午後6時鐘の音を合図にまた音楽がなり始めるとみんな一斉に直立不動になります。国歌か国王を讃える歌なんでしょうね。お年寄りは立たなくてもいいのかもしれません。事情のわからない欧米系バックパッカーがキョトンとしていました。
5時35分や40分の列車の表示がまだあるのは遅れて出発ということなのでしょうか。
ベッドを整える前は下のベッドが座席になります。向かい合わせに二人座れるようになっています。
バンコクを出て2駅くらいしたところで向かいの席にお父さんが座りました。この人が下のベッドに寝ることになります。
チュンポーンは午前4時13分到着予定なので、夜中に目を覚まさなくてはならなず、ガサゴソ迷惑をかけることになるかもしれないので、その旨ことわりを入れるつもりで話しかけたところ、あまり英語は通じない方ですが、自分の切符を見せてくれて自分もチュンポーンで降りると言っているようでした。
ワタクシもチュンポーンで降りるとわかって喜んでくれているようでした。偶然にも同じ行き先なのでこちらも少しホッとしました。ワタクシが泊まる宿のことも知っていました。
お父さんとは少し会話を続けましたが、英語が苦手なのようで話がつまるとお互いに大笑いばかりしていました。
会話も途切れガイドブックを読んでいると、電話をしていたがお父さんが突然私にスマホを渡してきました。最初は訳がわからず、画像でも見せたいのかと思いましたが、盛んに電話に出ろという仕草と「ドーター」と言います。
電話に出ると女性の声がして英語が聞こえてきました。電話の相手はお父さんの娘さんであることがわかりました。
娘さんによると明日朝駅に車で父親を迎えに行くので、一緒にホテルまで送ってあげるとのことでした。
予想外の申し出に感謝するとともにスマホをお父さんに返し、お礼を言います。
まだ暗いうちに駅に着くのでお父さんがワタクシを気の毒に思って気をつかってくれたようでした。
その後も英単語を並べる程度ですがおじさんとの会話がはずみます。
9時頃になるとベッドの設定が始まり、お父さんは早々と休むことになりました。
係員がベッドを作っている間、写真の右下の男性2人との会話が始まります。
今度は英語についていくのがなかなか大変です。彼らはスラターニーに行って島に渡ると言ってました。3週間の予定でアジアを回っていてワタクシも行く予定にしているラオスのルアンパバーンはとってもいいが、ビエンチャンは退屈だ、などといろいろ情報をくれます。
ベッドができました。寝台列車に乗るのは久しぶりですし、上段のベッドは初めての経験でしたが無事登頂に成功しました。
10時以降は大きな音を出さないように注意がありましたが、みんな早々に寝床についたようです。
夜中はこんな感じになるんですね。
午前4時55分。しっかり遅れて真っ暗なチュンポーン駅に到着です。
この姿を見ると南国なんだな~という感じがヒシヒシと伝わってきます。
こんな真っ暗な駅に着きますので不案内な道を宿まで歩いていくのは不安でした。当初は明るくなるまで駅で時間を過ごすつもりでしたが、お父さんに送ってもらえることになったので安心です。
この姿を見ると南国なんだな~という感じがヒシヒシと伝わってきます。
こんな真っ暗な駅に着きますので不案内な道を宿まで歩いていくのは不安でした。当初は明るくなるまで駅で時間を過ごすつもりでしたが、お父さんに送ってもらえることになったので安心です。
お父さんは息子が迎えに来ると言っていました。バンコクの医学部の学生とのことでした。
しばらくして車がついたので一緒に行ってみると息子だけでなくお母さんも一緒だったのでちょっと驚いてしまいました。息子が英語がわかるので彼にお礼を言って両親に通訳してもらいます。
車に乗って宿に向かいます。
と思っていたら、息子のS君が「朝食を一緒に食べませんか?」と言います。思わぬ申し出を喜んで受け入れたのは言うまでもありません。
バンコクでは宿の人や雲助以外では日本人観光客との交流しかなかったので、地元の人と会話する願っても無いチャンスだと思ったからです。
街角で暗いうちから営業している庶民的なお店でご飯とつみれ汁みたいな朝食になりました。失礼に当たると思い写真は撮りませんでした。
食べながら話していると、昨日電話に出てくれた妹さんは19歳で、今日は出かけていていないとのことでした。
S君が旅の予定を尋ねるので、3ヶ月かけてアジアを回る予定だと言うと少し驚いていた様子でした。次はどこへ行くのか聞かれた時、それまでまだはっきりとは決めていなかったのですが、28日にマレーシアの バターワースに向かい、そこからペナン島に行く、と口にしてしまいました。
タイでは今朝のこの体験以上の楽しいことはもう味わえないだろうと考え、タイをいったん出ようと思ったからです。
咄嗟の質問に答えることで自分の行き先が決まった訳ですね。
会話の内容はその都度S君が両親に通訳して伝えてくれているようです。
食後宿に向かいます。
と思ったら、駅に行ってバターワースまでの切符を買いに行こうと言ってくれました。切符は宿にチェックインしてから買いに行こうと思っていたのですが、寝台列車ですから早く買うにこしたことはないのでありがたく受け入れ駅に向かいました。
重ねての好意に一層の感謝を伝える英単語が浮かばないので Thank you を繰り返すしかないプアな英語力がもどかしくなります。
駅で無事28日 午後10時過ぎ発のバターワース行きの切符を無事購入できました。2等寝台で料金は957バーツ(約3400円)でした。下段のベッドはすでに売り切れ、また上段のベッドになってしまいましたが、バターワースには昼に着きますし、終点ですので安心です。
今度こそ宿に向かいます。宿はNanaburi Hotel をバンコクの宿でbooking.comで予約しておきました。1泊 1035バーツ(約3600円)です。もっと安い宿もありますが、家人からあまり安い宿は危険なのでちゃんとした宿に泊るよう釘を刺されていますので700バーツ~1000バーツ位の宿の中から選ぶようにしています。
3人ともフロントに着いてきてくれました。ワタクシをそっちのけでお父さんとフロントとの話が始まります。実は予約の段階で車中泊を勘定に入れるのを忘れ、1日ずれて予約してしまっていたのでした。
S君によると宿泊は問題無いが、部屋に入れるのは4時間後の午前10時からになるとのことでした。さらにお父さんが、それまで自宅で休んで行くように言ってくれていることがわかりました。
ここでまたThank you を繰り返したのは言うまでもありません。
自宅へ向かう車中で、今日は何か予定があるのか聞かれました。予定がなければ一緒に昼食を食べないか、との更なるありがたい申し出を受けました。予定があるはずもなく喜んで申し出を受け入れました。
寝台車内でお父さんが、宿に送ってあげると言ってくれたことだけでも望外の喜びだったのに、ここまで至れり尽くせりの好意を初対面の旅行者に示してくれるなんて・・・。
他の人のブログや旅行記などで、地元の方の自宅に招かれた記事を見かけますが、まさか自分にもそんなことが起きるなんて、今までの旅でもここまでは経験したことがありませんでしたの驚きと喜びでいっぱいでした。
宿から自宅まで車で15分くらいかかりました。小さなチュンポーンの中心街からはかなり離れているようです。
4階建ての、日本なら小さな会社みたいな建物が自宅でした。床は全部大きなタイル張り。トイレも広くてびっくりです。
お茶をいただいてゆっくりしたあと、3階の部屋に案内され、大きなベッドで仮眠を取りました。
ぐっすりは眠れませんでしたが、朝からの予想外の展開もあり疲れていたのでの助かりました。
目を覚ましたあとは2階でパソコンを使わせてもらい、ローマ字でブログをアップしました。
12時近くになって宿に向かうことになりました。自宅前で記念撮影です。ブログへの掲載も許可してもらいました。
S君とはアドレスを交換し、ブログのURLも連絡することになりました。ワタクシだけアユタヤ遺跡の首のない仏像のようにする訳にもいきませんので、大したものではありませんが、今回限り前例とせず、ということで大顔を公開します。食事中の方はお気をつけください。
さてどれがワタクシでしょう?
宿に荷物を置いてからタ湾沿いのビーチに向かいます。
砂浜に面したレストランで食事をいただきました。
焼き飯の隣のサラダは少し辛いです。
お腹も満腹になり、旅の話をしていて12月にまたタイに一旦戻る予定だと話すと、今度はぜひ自宅に泊まりなさいとお父さんがいってくれました。
自分が初対面の外国人観光客にここまで親切にできるか、と思う位お父さん一家のおもてなしに頭が下がってしまいました。
宿に送ってもらい3人としっかり握手し、ワタクシも顔の前で拝むように手を合わせてお礼を言って別れました。