12月25日 バラナシ 3日目
今日からやっとバラナシを一人歩きします。
宿からガートへの道は初日の夜と2日目の朝に宿のスタッフについて歩いていたので1人でも大丈夫だと思っていましたが、宿からすぐの通りに出た瞬間に道に迷ってしまいました。
路地をうろうろしましたがよくわかりません。
やむなく通りがかりの人に尋ねようとすると、人通りの少ない路地だったためか、いかにもみすぼらしい身成りの老夫婦しかいません。
ダメ元と思ってジャンキー・ガートへの行き方を尋ねます。
夫婦は英語は通じないようでしたが、「ジャンキー・ガート」という単語だけは理解したようで「自分について来い…」という仕草をするのであとからついて行きます。
ところが、夫の方があちこちで通行人や露店の人に尋ねているようです。どうやら彼らもジャンキー・ガートへの道は知らないようでした。
それでも何人かに尋ねるうちに行き方がわかったようで細い路地の入口に着くと「ここを歩いていけばOK」ということを仕草と笑顔で示してくれました。
一瞬チップをあげた方がいいのかな、とも思いましたが、日本人的感覚でそれも失礼かとも思い、両手を合わせて「ナマステ~」とお礼をいうと、2人ともナマステ―と言いながらにっこり笑ってそのまま去っていきました。
どうもチップの感覚はいつまでたってもよくわからないものですね。
ジャンキーガートへ続く狭い路地にも牛がウロウロしています。
ここが宿に最寄のジャンキー・ガート。ガートには階段上の建物や壁にガートの名前がかいてあるところがあります。
ガートでは沐浴をする川岸から家並みのある高台まで階段を昇り降りします。結構きつい傾斜です。
ガートに降りて見渡してみると、ボートの上からはよくわからなかったのですが、ずっと向こうのガートまで歩いて行けそうです。
凸凹はありそうでしたが足が痛み始める前にガート散歩をします。
これはヒンズー教の祠みたいなもののようです。
ガンジス河はよい洗濯場でもあるようです。
洗濯ものの量からみると自分のうちのものではなく、洗濯屋さんがここで洗っているようですね。
干すのにも洗濯バサミは使わず、よった縄に挟んで干します。なるほど・・・。
これはサドゥー(修行者)が住んでいる小屋のようです。修行者といっても金勘定をしていたり、白人女性専門に声をかける生臭いのもいるようです。
…歩いております。
青空トイレ。ずいぶんお世話になりました。
メイン・ガートに近づきます。ジャンキー・ガートからぶらぶら歩きで30分くらい。このあたりが客引きや物乞いが一番多いようです。
ピーナッツ売りのオッサンです。この袋に半分くらいしか入っていないのに20ルピー(36円)もします。顔も怖いですね。
髪の毛が伸びてはいたのですが、ちょっと躊躇してしまいました。
ガートは冬でも日差しがあると日向はポカポカしています。いろんな動物が日向ぼっこをしています。
バラナシのワン公はやたらと居眠りをしていますね。夜型なんでしょうか・・・。
ガート沿いにはたくさんのゲストハウスがあります。バックパッカーが泊まる安宿ですね。値段はかなり安いのですが、設備の充実はあまり期待できず、中には危険な宿もあるようです。
その中で日本人バックパッカーの間では有名な「久美子ハウス」。経営者は日本人女性で旦那さんがインド人だそうです。
インド人ですら「なんであんなボロい宿に泊まるんだ?」と言っているらしいなかなかの宿のようです。
ワタクシも名前だけは知っていましたので、階段を上がってちょっと見学に・・・。
入口です。この左側に共有スペースがあり、宿泊者が座って食事していましたが、如何にも…という感じの旅人でしたね。
この宿の人気の原因はこのあたりでしょうか・・・
ガートを歩いているとしょっちゅう「ハッパ!ハッパ!」と売人に声をかけられましたが・・・
かなり迫力のある外装に辟易し、中を見学することはやめにして通りに出ようと宿の前の路地を進みますが・・・
あっちに行っても・・・
こっちに来ても・・・
通行妨害があるので結局またガートの方に戻りました。
メイン・ガートを過ぎてしばらく歩くとボートの上から見たマニカルニカ―・ガートにたどり着きました。
ここはあの火葬場ガートです。
通り過ぎようとすると日本語を話す若いインド人男性が近づいてきます。
ガイドブックによると火葬場ガートでは撮影は厳禁ですが、見学するる分には問題なく金も払う必要がない、とあります。ただし、金を要求する輩がいるので注意、とも書いてあります。
さっそくその輩がやってきたようです。彼は見るのは構わないが火葬に使う薪代を寄付してくれ、としつこく迫ってきます。
自分は見学するのではなく、通り過ぎて先の方のガートに行くだけだ、と振り払おうとしても執拗についてきて、通り過ぎるのにも金を要求してきます。
一度はこの目で火葬を見てみてもいいなあ、とは思っていたものの、ここまでしつこく金を要求されるとは思っていませんでした。
いったんは金を払おうかとも思いましたが、それも腹立たしいし、まだ時間もあるでここは出直すことにして散歩を切り上げ、宿に戻ることにしました。
ぶらぶらガートを歩いて宿に帰ります。
往きもそうでしたが、帰りも歩いているとさまざまな物売りや物乞いが近づいてきます。何十回ノー・サンキューと言ったでしょうか。
宿に帰ってスタッフに訊いてみるとやはり金なぞ払う必要はない、と言います。
道端のチャイ屋で知り合った梅田で仕事をしたことのある日本語を話すインド人に尋ねても、
「払う必要はない」と言います。ただし彼はこう付け加えました。
「強い人は払わないし、弱い人は払う・・・」 なるほど・・・それがインドか・・・。
そんなに見たければ一緒に行ってやろうか?と彼に言われましたが、まだまだ彼も信用できるわけではないので好意だけ貰っておくことにしました。
それでもワタクシにとってガート散歩は実に実に刺激的なものでした。街歩きもそうでした。
バラナシには来たものの、1月3日のバラナシ発のデリー行の飛行機に乗るまでどこに行こうか決めていませんでした。当初は周辺の旅をしようかとも思っていました。
しかしバラナシの街に3日いてみて、この街の面白さをもっと味わってみたい、と思いそのままバラナシに居続けることにしました。
一つの街に10日以上も居続けることもある意味で贅沢なことですが、こんなことができるのも今度の旅をおいて他にはない、と思い早速宿のスタッフに相談して宿泊を延長することにしました。