パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

プーリア州散歩行 ②イスタンブールを経由してバーリまで

(この記事は1月10日から1月21日までのイタリア旅行の記事です)

1月10日(火)~1月11日(水)

4日ぶりに無事出発した成田発22時15分のTK53便はほぼ満員の乗客を乗せてイスタンブールへ向かいます。
約12時間の飛行でイスタンブールに到着したのは現地時間午前5時過ぎ。

降機したあとは順路にしたがってトランスファーのカウンターに向かいます。ところがトランスファーカウンターには長蛇の列ができています。イスタンブール・アタチュルク空港は24時間営業のハブ空港ですので、こんな早朝でも大勢の乗客が空港内にあふれているようです。

長い列の最後尾を探して並びますが、カウンターには職員の影も形もなし。どうも変だなあと思って、隣にいた外国人に「乗り換えはこの列でいいのか」尋ねると、彼らもいぶかしげな様子でした。

あちこちで尋ねまくると、この列は乗継便の搭乗券を持っていない人が、あらためて搭乗券を発行してもらうために並んでいることがわかりました。
ワタクシは成田でバーリまでの乗継便の搭乗券も手にしていたので再度の手荷物のX線検査を経て、免税店や飲食店が並ぶエリアに進んで搭乗便を待てばいいのでした。

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イスタンブールに到着が午前5時、バーリ行きの便が午後2時20分出発の予定でしたので、待ち時間が8時間近くあります。
当初はいったんトルコに入国し、トルコ航空が主催する無料の市内バスツアーに参加することを考えておりました。

ところが、年のせいか思った以上に長時間の飛行で疲れました。空港に積もっていた雪も予想以上に多く、上空から見た市内にも相当の雪が積もっていました。また直前にイスタンブールで銃撃事件もありました。

広い空港内のあちこちに設置された電光掲示版でバーリ行きの便を確認すると、キャンセルの表示はないものの、出発ゲートがまだ決まっていないのか、「ゲートが決まるのを待っている」という趣旨の表示があるのみで、搭乗時間の2時間前にならないと出発ゲートは表示されないことがわかってきました。

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それやこれやの状況を考え合わせた結果、外に出てツアーに参加するのはやめにし、イミグレーションは通らずに空港でおとなしく搭乗時間場来るのを待っていることにしたのでした。

イスタンブール空港はヨーロッパ、アジアそしてアフリカを結ぶハブ空港だけに実に様々な国の人々が広い空港内を歩いています。
しばらくは世界の人々の様子を観察することにしました。

成田で知り合ったイタリア人とは、降機したらまた空港で会いましょう、と約束していたのですが結局会えずじまいでした。
そこで彼がカターニアに行くと言っていたのを思い出し、モニターでカターニア行の便の搭乗ゲートを確認し行ってみると彼と再会することができました。

途中で軽食を取り、空港内のフリーwifiを使ってネットを使っているなどしているうちに、ようやくバーリ行きの便のゲートが表示されたので搭乗口で待機します。

ほぼ定刻でイスタンブールを出発し、気流が悪くかなり揺れましたが約2時間でバーリに到着しました。

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イスタンブール行の機内で2回、空港で1回、そしてバーリ行きでも食事が1回でたのでもうブロイラー状態でした。


バーリ空港はきれいに除雪されてありました。
それほど大きな空港でもありませんので、入国手続きはすぐ済むだろうと思っていました。

ところが、イスタンブールで搭乗する時に手荷物のX線検査を済ませたのに、バーリ空港ではパスポートコントロールの前でまた検査を受ける羽目になりました。しかも機械が1台しかないため大した乗客数でないにもかかわらずやたらと時間がかかります。

おまけにバゲージクレームのあと今度は預けた荷物を更にX線検査をしないと外に出られません。

かつては「こんなんでいいの?」と心配する程いい加減(に感じた)なイタリア入国手続きでしたがテロの影響で厳しくなっているようです。

とはいうものの、手荷物のX線検査の順番が来るのをイライラして待っていたとき、ワタクシのパスポートを見た検査係員が「コニチワ」と声をかけてくる調子の良さは相変わらずでした。イスタンブールからの乗客で日本人はワタクシだけだったからかもしれませんね。

バーリ空港からは最近できたらしい路線でバーリ中央駅に向かいます。電車も施設も券売機も機能的でとても美しかったですね。

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かつてローマのフィウミチーノ空港に初めて深夜に降り立ち、空港駅からローマ・テルミニ駅に一人で向かう際、どういう訳か駅員が全くいないホームで券売機ががリラ札を受け付けてくれず、途方にくれたことを思い出すと、この田舎の新しい路線の素晴らしさは隔世の感がありました。

あとで気が付く羽目になるのですが、これで南イタリアの鉄道事情に大いなる誤解をしてしまったようでした。