1月6日(土) 午前中は市内半日観光ツアー
朝の散歩を終ってホテルに戻る。ウェンディ・ツアー社の半日観光は日本語ガイドが付くツアーで、
を半日でまわるツアーである。料金は17米ドルと物価の安いベトナムでは少々高め。ネットで予約した時点では他に申し込みがないため、当日一人の場合はツアーは催行するが、料金は25米ドルになるという。
を半日でまわるツアーである。料金は17米ドルと物価の安いベトナムでは少々高め。ネットで予約した時点では他に申し込みがないため、当日一人の場合はツアーは催行するが、料金は25米ドルになるという。
午前9時過ぎにホテルにピックアップに来てくれたガイドさんに訊くと、はたして客は小生ただ一人だという。結局個人ガイドを雇ったのと同じことになってしまった。日本でもそんな旅行したことないのに。この時期に旅行している日本人はそれほど多くはない、ということか。
ガイドは中国系ベトナム人女性のRさん。「日本語はまだ不十分なので、色々教えてください」と謙遜していたが、なかなか流暢な日本語を話す。それでもツアーの途中で、彼女が知らない日本語を小生が話すとすぐメモを取り出す。 小生が漢字とひらがなで書いてあげたり、彼女の日本語の発音を治してあげることが何度もあったのも楽しい経験だった。
日本語能力の向上が収入アップに結びつくのだから彼女も必死なのだろう。勉強熱心で好感の持てる女性だった。
日本語能力の向上が収入アップに結びつくのだから彼女も必死なのだろう。勉強熱心で好感の持てる女性だった。
客が一人なのでバスではなく乗用車で移動する。今朝は路上で安い食事をしていたことと比べると、運転手・ガイド付きのツアーなので少しリッチな気分になった。
最初に見学したのが統一会堂。ここは旧南ベトナム政府の大統領官邸だった建物だ。
1975年4月30日、この建物の敷地に解放軍のソ連製戦車が突入し、サイゴンが陥落したのだ。邸内には大統領の執務室・応接室など政治向きの部屋だけでなく、大統領夫人の娯楽室や映画室なんぞもあった。
1975年4月30日、この建物の敷地に解放軍のソ連製戦車が突入し、サイゴンが陥落したのだ。邸内には大統領の執務室・応接室など政治向きの部屋だけでなく、大統領夫人の娯楽室や映画室なんぞもあった。
最上階の展望台からは、建物の天井に大きな赤丸が二つ見えた。Rさんによると空爆で爆弾が落とされた箇所を示すものだという。説明を聞いて少し緊張してくる。
地下室に降りるとそこは指令室や通信室など厚い壁に覆われた軍事施設だらけで、実際にベトナム戦争中に使われたものだという。ベトナム戦争を、新聞やテレビを通じて同時代の戦争として見てきた世代としては、こうした本物を見ると観光気分は引っ込み、身が引き締まってしまう。
緊張気味の統一会堂見学の次は中央郵便局へ向かう。自動車に乗って移動するので楽ではあるが、反面どこを通っているのかさっぱりわからないのはいたしかたないか。
中央郵便局は19世紀末のフランス統治時代に立てられたもので、局内の一番奥に飾られたホーチミンの肖像をのぞけば、美しい装飾のクラシックな感じの建物である。
中央郵便局は19世紀末のフランス統治時代に立てられたもので、局内の一番奥に飾られたホーチミンの肖像をのぞけば、美しい装飾のクラシックな感じの建物である。
ホーチミンシティでは外国へ郵便を出すときは、絵葉書も含め郵便局まで出向かなければならない。街中のポストは国内郵便専用のためだ。
中央郵便局では絵葉書も売っていて、観光客はたいていここで購入するという。もちろん小生も。写真右端の白シャツの男性が立っている窓口で1枚7千ドン(約60円)の切手を買い、葉書に貼って投函するのだ。
中央郵便局では絵葉書も売っていて、観光客はたいていここで購入するという。もちろん小生も。写真右端の白シャツの男性が立っている窓口で1枚7千ドン(約60円)の切手を買い、葉書に貼って投函するのだ。
局内にはテーブルも用意されていて、座ってゆっくり手紙を書くことができる。
アオザイ姿の女性もみかけた。後ろに見える木の扉は国際電話がかけられる電話ボックスだ。家庭からもダイヤル直通できるのかどうかはRさんに確かめなかった。
教会の前でウエディングドレスの女性が写真を撮られていた。モデルの撮影かなと思ったら、Rさんによるとベトナムはこの時期は結婚式シーズンで、ホーチミンではサイゴン教会の前で新郎新婦の写真を撮るのが流行だとのことだ。
Rさんに「おめでとう」というベトナム語を教えてもらい、二人に声をかけると新婦はにっこり微笑んでくれた。新郎の表情を見るのは忘れてしまった。
Rさんに「おめでとう」というベトナム語を教えてもらい、二人に声をかけると新婦はにっこり微笑んでくれた。新郎の表情を見るのは忘れてしまった。
敷地内にベトナム戦争で使われた兵器や戦車、航空機、爆弾などが展示されている。さらに平屋の建物内には世界のジャーナリストが撮影した報道写真が。沢田教一氏がピューリッツアー賞を受賞した有名な「安全への逃避」が戦後のその一家の写真とともに展示されていた。
そして枯葉剤の影響で、ひとつの胴体に二つの頭部を持って生まれたホルマリン漬けの乳児・・・。これらの展示には言葉を失ってしまう。
Rさんの説明では、この博物館は外国人向けの施設だそうだ。ベトナムの人たちは観光客で混雑するところに行くことをあまり好まないそうで、同じような戦争証跡博物館がベトナム人用に近くにもうひとつあるのだという。
気が重くなってきたところで最後のスポットであるベンタイン市場へ。ここは大きな建物の中にたくさんの店がひしめいている市場だ。衣料・雑貨から食料品までたくさんの品々が売られている。
ここはどちらかというと国内外の観光客向けで値段もかなりふっかけてあるらしいとRさんは云う。さらにスリが多いから気をつけるようにくどいほど注意された。食事が出来る店の値段はこれまた随分安いらしい。
広い市場内の一部ではあったが、二人でのんびり歩いたあと、それほど暑くはなかったので疲れもなかったが、少し休憩しようと思い、車でホテルに戻ってもらって本日の半日観光は終了した。
Rさんと二人だけのツアーだったので大勢のときならできない会話もゆっくり楽しめ、なかなか良いツアーであった。
Rさんと二人だけのツアーだったので大勢のときならできない会話もゆっくり楽しめ、なかなか良いツアーであった。