マラッカのチャイナタウン
マラッカ川を渡って西北方向に2本の道が伸びている。このあたりがチャイナタウンである。狭い道が
伸びており両側に2階建ての建物が連なる。
南側がトウン・タン・チェン・ロック通り、北側が通称ジョンカー・ウォークといわれる道。
ところでマレー語では「通り」のことをJalanという。Jalan Jalanは「散歩する」という意味。日本
に似たような名前の雑誌があるが、マレー語からとったものだろう。
さて、南側の通りにはゲストハウスや民家風のショップ(ショップ・ハウス)が並んでいて最もマラッ
カらしい通りといえる。
マラッカの文化はババ・ニョニャ文化といわれる。
数百年前に中国本土から渡ってきた男性と地元マレー系の女性が結婚して生まれた子孫のうち男性をバ
バ、女性をニョニャと呼び、彼らを総称してプラナカン(地元生まれ、という意味)というそうだ。
彼らが作り上げた文化がババ・ニョニャ文化でマラッカの文化を特徴づけるものとなっている。その生
活様式は、言語はマレー語・食文化や衣服などはマレー文化を取り入れているが、冠婚葬祭などの風習は
中国古来ものに由来し、いわば中国系とマレー系が融合した独特のものになっている。
南側の通りにある、市民の私邸を有料で公開しているババ・ニョニャ・ヘリテージではババ・ニョニャ
文化の典型的な様式を見学することができる。
入口のベルを押すと扉が開けられ中から女性が出てきて迎えてくれた。ガイド付きで8リンギの観覧料
を払うと「英語は話せますか?」と訊かれた。
正直に「エイゴ・スコチ・シャベル・アルネ」と錆びついた英語で答えると、口頭試問は不合格だった
らしくニッコリ笑って「お一人で見たほうがよさそうですね」と見学順路を教えてくれた。
マレーシアの人は英語が話せる人が多く、小生の英語力を的確に判断して英語会話での説明は理解でき
ないだろうと判定されたのだ。観覧料はまけてくれなかったけれど。
内部の展示には英文の解説もついていたので不便はなかった。あとで白人の二人連れに説明している別
の女性係員の説明を盗み聞きすると、自分にも理解できる程度の英語ではあったが後の祭りだった。
建物の間口はそれほど広くない。だが奥行きが相当に長い。日本の古い町家に似た感じがする。昔は間
口の広さで税金の多寡が決められていたためだそうだ。奥に進むと外気の取り込み口になっている中庭も
あって内部は案外涼しい。
<この写真はマラッカ・ハウスというショップの中庭>
二階建ての各部屋に置かれた調度品や展示物は古いが高価そうなものが多く、いかにも歴史を感じさせ
るものだった。ババ・ニョニャには商売で成功を収めた人が多くこの建物の持ち主もその子孫らしい。そ
の豊かな生活ぶりを物語る博物館であった。