パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

イスタンブール散歩行 24 朝の墓巡り

 スレイマニエ・ジャミー(モスク)の内部見学ができなかったので、思いつくままに周囲を散歩すると隣になにやら中に入れる一角があった。

 中に進むと…ムスリムの墓地だった。
 
 塩野七生氏の本を読むとかつてはムスリムの墓地に異教徒が入り込むと殺されることもあったそうだが、今はそんなことはない…周りに誰もいなかったので…ようだ。

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 墓石の形は丸みを帯びた細長い石が多い。墓碑はアラビア文字で書かれている。墓石のすぐそばに名前らしいアルファベットを刻んだアクリルの透明な板が建っている。一家の墓とするとまつられている人の名前だろうか。それにしては名前が多い。墓石を建てた人の名前だろうか…。

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 死者の安眠を祈り、墓地をあとにする。


 
 ジャミーの敷地内に中に入れる建物があったので何の建物かわからずに入って見ると、そこはスレイマン大帝が眠る霊廟だった。どうやら今朝は墓づくしのようである。

 建物の内部の壁は金色の文様とアラビア文字で彩られ、さほど広くないスペースに独特の形をした棺が安置されてあった。一番大きいのがスレイマン帝、隣の一回り小さな棺は后であろうか。もっと小さなものもあったが子供の棺かもしれない。

 棺には鮮やかな彩色の布がかけられていて棺を直接見ることができない。石棺かも知れないが部屋や覆った布のためか墓所のわりに温かな雰囲気がするのが不思議である。

 オスマン帝国の最盛期のスルタンとして版図を広げ、ウィーンを最初に包囲した大帝にしてはこじんまりした霊廟であるのは意外であった。

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 ジャミーを出て地図をたよりに道をぶらぶら下っていくと、ジャミーの裏にあたる坂の途中にまたお墓があった。


 ここは今見てきたばかりのスレイマン・ジャミーを建築したミマール・シナンが眠る墓である。ここは中には入ることができなかった。

 この墓所も彼の作品ということであるが、トルコ中に数多の巨大建築を手掛けてきた大建築家にしてはひっそりとした墓所である。

 彼にとっては作品そのものが永遠に残る壮大な墓所みたいなものなのだろう。

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 朝からお墓ばかり見てきたので神妙な顔をして石畳の道をさらに下っていく。

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 途中にマンホールらしきものがあった。擦り減っているがイスタンブールの紋章も刻まれている。外国のマンホールもそれぞれ味があって面白いものだ。

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