パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

本郷界隈

 今日は朝から雨がしとしと降り、気温もぐんと低くなった日曜日でした。


 豚児上は仕事、豚児下もアルバイト。おまけに家人もなんとかカウンセラーの資格取得のための講習に

でかけてしまい、まるで単身赴任状態になっていたところ、午後になって雨もあがってきたので散歩に出

かけることにしました。

 
 千代田線の湯島駅で降りて春日通を歩いていくと本郷三丁目の交差点に出ます。

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 この近くの菊坂の樋口一葉の旧居跡をたずねて散歩にでてきたのです。

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 明治23年、父親がなくなると彼女は戸主として母親と妹とともにこの菊坂下通りに引っ越してきたそ

うです。

 旧居跡は右側の井戸を越えた狭い階段のあたりがらしいのですが、説明の碑などは見つからなくて正確

な場所はよくわかりませんでした。この井戸を樋口一葉が使ったのでしょうね。

 周辺はマンションが多い場所にもかかわらず、このあたりだけ狭い路地が残っていて往時を忍ばせてく

れます。

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 道端のプレートによると昔は「真砂町」といったあたりで、例の「真砂町の先生」が住んでいたあたり

なのでしょうか。

 また、他のプレートの説明書きによると、金田一京助宮沢賢治もこのあたりに住んでいたとか…。

 明治の近代文学の香りゆたかなエリアなのですね。

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 それもそのはずですぐそばに東京大学のキャンパスがあります。

 当時場所がわからなかったので受験しなかった(^^ゞ)ワタクシでありますが、折角近くに来たので赤

門を通ってキャンパスの中も散歩してみました。

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 雨上がりの銀杏並木もなかなか風情がありますね。

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 かつて火炎瓶と催涙ガス弾が飛び交った安田講堂も今日はひっそりとしています。入り口の壁がだいぶ

はがれていましたが、40年前の攻防戦のためではないのでしょうね…。

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 周辺にはいかにも東京大学と共にあることを誇るかのような看板も…。写真屋さんのモデルがノーベ

ル賞学者なのは東京大学の学生さん御用達ならではなのでしょうか。

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 修学旅行の学生が東京で泊まる旅館は本郷周辺、というのがかつての通り相場でしたが、今でもこのあ

たりにはたくさんの旅館があるようです。
 
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 春日通りから少し奥にはいったあたりに「朝陽館本館」というまことにレトロな旅館がありました。写

真が下手なため小さな旅館に見えますが、実際はなかなかな規模の旅館です。一度はこんな旅館に泊まっ

ってみたいものです。


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 湯島へ帰るみちすがら「サッカー通り」なる妙な名前の通りを見つけました。そのままたどっていく

と、日本サッカーミュージアムなる建物がありました。

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 ここは日本サッカー協会が入っているビルで、地下1・2階と地上1階フロアがサッカーミュージアム

になっていました。



 地下2階だけが有料で入場料は500円。Jリーグや日本代表の試合のチケットを持っていると割引に

なるようです。

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(入場券です。日韓W杯のチケットのレプリカになってます。日本が1-0で勝ったロシア戦ですね。)


 展示内容は日本が出場したワールドカップなどの豊富な映像資料や日本のサッカーの歴史をたどるさま

ざまな資料や選手が着ていた本物のユニフォームなど盛りだくさんで、サッカーファンにはなかなか楽し

い場所です。



 このユニフォームはメキシコ五輪で日本が銅メダルを獲得したときに選手が着ていた本物のユニフォー

ムです。

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 そのときの銅メダルも展示してありました。

 ワタクシが一番興味深かったのは、1969年6月に自分もスタジアムで観戦した、当時は西ドイツの

ボルシアMG対日本代表の試合のチケットが展示されていたことでした。


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 自分がこの試合を観戦したことなどすっかり忘れていたのですが、展示されたチケットを見たとたん、

初めて見た西ドイツのプロサッカー選手たちのことをいろいろ思い出しました。


 ボルシアMGは上下真っ赤なユニフォームでした。選手の中に長髪の金髪の選手がいたことも…。


 のちに72年の欧州選手権でドイツ代表の中心選手としてベッケンバウアーやG.ミュラーとともに西

ドイツを欧州チャンピオンに導いたギュンター・ネッツァーでした。

 2006年のドイツワールドカップでだいぶ年取った姿をテレビ映像で見かけましたが、生の彼の活躍

を見たことがあったのですね…。


 今となってはサッカーの日本代表チームは他国の代表チームとしか試合をしませんが、当時は日本のレ

ベルが低すぎて、大枚をはたいてヨーロッパのクラブチームを招聘し日本代表と試合をしてもらい、それ

でもほとんど勝てなかったものです。それを思うとずいぶんと日本サッカーのレベルもあがったものです

ね。


 偶然に入場したミュージアムでしたが実に楽しい訪問となりました。

 (最近懐古談ばっかりになってきたようです^^)