パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

松蔭神社にお参りにいってきました

 歴史小説はわりと好きなジャンルです。NHK大河ドラマ龍馬伝をやってますが、幕末ものも面白いですね。吉田松陰もいろいろな歴史小説に登場します。
 
 鳥取にいるときにに行こうとしたのですが、鳥取から電車で萩に直接向かおうとすると半日もかかり、むしろ東京経由で飛行機で行ったほうが、お金はかかりますが時間はかからないことが判明したため萩行きは断念し、以来ワタクシにとって萩は「一度は行ってみたい日本の街」の第1位のままとなっています。
 そこでせめて世田谷の松蔭神社なら近いので行ってみようと思い立って本日散歩してまいりました。
 
 松蔭神社に行くにはいろんなルートがありますが、今日は田園都市線三軒茶屋から世田谷線に乗り換え下高井戸方面に向かいます。
 東急世田谷線は子どもの頃は玉電の愛称で人気の路線でした。丸っこい車両がとってもユニークでしたが、現在はなかなかシャープなデザインの車両になっています。
 
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 土曜日のため、2両編成の車内は結構な混み具合です。
 
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 三軒茶屋駅から3駅目の松蔭神社前駅で降ります。
 
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 駅に続く通りが松蔭神社商店街です。その商店街をぶらぶら5分ほど歩くと松蔭神社が見えてきます。
 
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 もともとこの地は毛利藩主の別邸があったところだそうです。吉田松陰が小塚原で処刑・埋葬されたあと、伊藤博文高杉晋作らが師の遺体を掘り起こし、この地に埋葬し直し、そこに建てられたのがこの神社の由来とのことです。
 それで神社なのに境内には吉田松陰はじめゆかりの志士のお墓があるわけですね。松蔭の墓碑銘は「吉田寅次郎藤原矩方」となっていました。
 
  小塚原の吉田松陰のお墓の記事はこちら→ http://blogs.yahoo.co.jp/yhamalfi532006/44349246.html
 
  境内には吉田松陰の像がありました。絵で見る吉田松陰は馬のように長い顔で描かれますが、この像はそれほどでもないようですね。
 
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 本殿はそれほど大きくはありませんが落ち着いたたたずまいの建物でした。
 
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 本殿前から松蔭の墓所にかけて石灯籠が沢山並んでいました。寄進者の名前を見ると本殿前のものは毛利家の人たちですが、墓所に連なる道に並んだ石灯籠は・・・
 
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  一番手前の灯篭の寄進者は伊藤博文、その次は山県有朋、以下奥に向かって井上馨桂太郎・・・長州の志士出身で生き残って明治の元勲・顕官になった連中ですね。ずっと奥に乃木希典の寄進した石灯籠もありました。
 
 本殿でお参りし、社務所で開運厄除けのお守りを買って本殿の方を振り返るとこんな表示がありました。
 
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 えっ?こんなところに松下村塾があるの?萩に行き損なったワタクシにとっては実に都合がよろしいようで早速表示の方向に進むと小さな小屋が見えてきました。
 
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 これは萩にある松下村塾のレプリカでした。こんなものがあるのは知りませんでしたのでなんだか得した気分になってしまいましたね。
 
 今の日本の政権は政治面・経済面で中国、ロシア、アメリカなど外国からの攻勢にフラフラの状態ですが、幕末はもっと大変な状況だったのによく乗り切ったものですね。当時の日本人の知恵というか勇気というかその気概の大きさに敬意を表するばかりです。・・・吉田寅次郎のお墓を前にそんな感想を持ちました。
 
 ということで今日は余計なところには寄らず、商店街の中華料理屋さんでチャーハンをとビールをいただいただけで終わりにしました。