演劇とは難しいものですね…
少し前の話になりますが、先週の木曜日、チケットをいただいたので家人と久しぶりに舞台鑑賞にでかけました。
家を出るのが遅れた上に、途中で乗り換え予定の東横・みなとみらい線の急行電車の到着が遅れ、劇場に着いたのは開演1分前。ところが自分達以外にも遅れてくるお客がいたために開演時間を遅らせてくれていたらしく、どうにか幕開けに間に合いました。
ワタクシはひたすら焦るばかりでしたが、家人は間に合ったのも「希に見る強運の持ち主の自分のおかげ」と涼しい顔です。
この舞台のことはもともとブログに載せるつもりはありませんでした。
ところが22日の夕刊にこの舞台の劇評が掲載され、プロの記者?の評価がワタクシたちの印象とずいぶん違うのに驚いたので記事にしました。
舞台の印象について細かいことは省きますが、一つだけ言いますと、開演後1時間半くらいたって緞帳が下りてきました。
しかし、客席はシーンとしています。
ワタクシたちもそうでしたが、拍手が起きなかったのは「えっ? これで舞台が終わったの?休憩なの?」と全員の観客がとまどっていたためではないでしょうか。
ふつう舞台が終わる時は演技の盛り上がり加減やストーリー展開から、誰もがわかるものだと思うのですが、あの異様な静けさは再び緞帳が上がり、役者が並んで舞台に並び始め、「あっ!終わったんだ!」と判るまで続きました。
と、ところが・・・22日の夕刊の劇評を読むと驚くべき新発見だらけでした。
一つの舞台に3つの時代が走る演出は最初は訳が分からず、最後まで雑然としていたなあ、と思っていたのですが、プロの目からみると「・・・イサムの世界観が表現されて」いたのです。
現代の設定で外人と女性が絡むシーンが頻繁に出てくる(イサム・ノグチのNYの作品を見つめるシーンがでてきます)のですが、わざわざストーリーを複雑にするだけで家人もワタクシも「不要だ!カット!」と思っていた演出は「…濃密な空間」だったんですねぇ。う~む。
生硬で台詞も棒読みに近いなあ、と感じた窪塚洋介の演技も、プロの目から見ると「…イサムの思索と感性を見事に造形」していたのです・・・。うむむむ・・・。