パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

11月15日 プノンペン2日目 ②

朝の散歩を切り上げいったん宿にもどります。

プノンペンのあとはアンコールワット観光の拠点であるシェムリアップに行くことにしていますが、移動手段について何も手配していなかったので宿のフロントに相談したところ、ここでバスのチケットを手配できることがわかりました。

バス会社に直接申し込んだ方が値段は多少安くなるはずですが、バス会社がどこにあるかすら知らない状態でしたのでホテルに予約をお願いしました。

ただし、出発日の17日はカンボジアの祝日にあたるため、宿へのピックアップはなく自分でバス乗り場に行くことになりました。

プノンペンからシェムリアップまで6時間で10$。これでも十分安いですね。


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切符の手配も終え、市内観光にでかけます。


足底腱膜炎の調子は決して良くなく、無理をすると足が痛むので、市内観光も歩きだけでは不可能でした。

そうなると公共交通機関が未発達なプノンペンではトゥクトゥクかバイクタクシーに頼らざるを得ません。

タクシーは空港からはありましたが、街中ではほとんど見かけませんでした。

そこで宿の前に屯していたトゥクトゥクを半日チャーターすることにしました。

値切って半日で16$でもちょっと高いのかもしれませんが、足の痛みにはかえられません。

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トゥクトゥクの乗り心地は道さえよければ風も当たりますし、悪くはありません。

運転手のおっちゃんはリーさんといい英語はワタクシとどっこいどっこい。笑顔の表情が豊かでなんだか憎めないおっちゃんでした。


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王宮です。うっかりしてましたが、カンボジアは正式名称はカンボジア王国なんですね。

元首はノロドム・シハモニ国王です。

カンボジアというとシアヌークという名前を思い出しますね。この方は2度王位についているんですね。

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王宮はバンコクのほど大きくはありませんがやはりなかなか優雅なものでした。

隣のシルバーパゴダには宝物殿があり、撮影禁止でしたがエメラルド仏が鎮座していました。

バンコクのエメラルド寺院の仏様もたしかビルマだったかカンボジアだったか、いずれにしろ他国から奪ったものだったはずですね。



トゥールスレン刑務所跡はGenocide Museum として公開されています。

ポルポト派の残虐行為を後世に伝えるためです。


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この刑務所は学校の校舎を転用して利用され、反革命分子として捕らえられた人がここで拷問をされ無理やり自白させられた後、キリングフィールドへ移送され処刑されました。


室内には古いベッドがポツンと置かれているだけですが、壁には当時無残な死体がこのベッドの上に放置されていた写真が掲示されています。

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たくさんの収容者の写真が掲示されている部屋がありました。

ガイドブックによると記録にあるだけでこの刑務所には2万人が収容され、生存者はわずか7名だけだったと言われています。



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構内では生存者が観光客と記念写真を撮るコーナーがありました。その7人のうちの1人ということなのでしょう。
(続く)