12月3日 ハノイ3日目
ハノイ3日目 市内観光にまた繰り出します。
足がまだ少し痛みます。フロントのスタッフにホーチミン廟を見に行きたいと相談すると、歩くとかなりあるのでタクシーを勧められました。
ドアボーイが信頼できるタクシーを捕まえてくれ、メーターでホーチミン廟の入り口まで6万ドン(約300円)行ってくれました。
ホーチミン廟は広大な敷地の中にあります。
入場は無料ですが、厳重なセキュリティチェックが終わると観覧希望者は2列縦隊に並ばせられます。
周りは警備の警官?兵隊?だらけです。
警官の合図でホーチミン廟まで縦列更新行進が始まります。まるで運動会の入場行進みたいですが、警官は大真面目です。
街歩きしているとあまり感じませんが、ベトナムはやはり社会主義国家なんだなあ、という感じが強くしました。
ホーチミン廟の建物は敷地の広大さに比べると思っていた程大きな建物ではありませんでした。でも一人の人間のお墓としてみるとやはり馬鹿でかいですね。
縦列行進のまま内部に入ります。もちろん撮影は厳禁です。
すぐにホーチミンの遺体が安置されている部屋に入ります。しかし止まることは許されませんので、遺体が見られるのは周囲を回る十数秒だけです。
ただし目の前で見ることが出来ます。
遺体はまるで蝋人形のようでした。蝋人形が置いてあっても誰もわからないでしょうね。
廟の外部へ出ると縦列は解散です。
そのまま進むと公園みたいなところに出るのですが、チケットを買わなければ入れないので出口を探します。
ところが広大な敷地なのに出口の案内表示がありません。
廟を出ると行進からは解放されますが、あとはほったらかしという訳です。
でも歩行が許されていない車道を歩いていると警官が遠くからでも警笛を鳴らして注意します。やはり見られて いるんですね。
ワタクシ同様、出口がわからなくてうろうろしている欧米人観光客がいました。
彼はバックパックをしょってきたので強制的に預けさせられたので困った様子でした。
そういう自分もウロウロしながら観光客を案内しているガイドに聞いてようやく出口を見つけました。
往きはタクシーで来たので帰りは近辺の見所をゆっくり歩きながら観光して帰ることにしました。
歴史軍事博物館では捕獲した米軍の戦車や戦闘機に並んで、北爆の際に撃墜された軍用機の破片でモニュメントが作られていました。いかにも勝利を誇る気分が露骨ですね。
館内ににはサイゴン陥落の際、大統領鑑定に突入したソ連製の戦車が国宝として展示されていました。
別棟では新兵の集団と一緒になり、ハノイ爆撃に対する北ベトナム軍の反抗の映像を鑑賞します。
彼らは新兵教育の一環としてこの博物館を訪れたようです。
軍事博物館のカフェで休憩した後、そのまま歩いてタンロン遺跡に向かいます。
ここは歴代ハノイの王朝が都を置いたの跡で世界遺産に指定されています。長い間軍の管理下にあって非公開でしたが、修復が済んだエリアは公開されるようになりました。
端門はハノイを象徴する建造物のひとつですね。
ちなみにタンロンとは龍が昇るという意味です。
街中ではあまり見かけることができなかったアオザイ姿の若い女性の集団が門の前にいました。
どうやら学生のようです。何か行事があったようですね。痛む足を引きずって歩いて来た甲斐がありました。
タンロン遺跡は修復されていない、あるいは復元されていない遺跡がまだかなりあるようです。
一方敷地内の建物の中に北ベトナム軍のの最高司令部が入っていたものがありました。
会議室のテーブルには誰がどこに座っていたのか名札が置いてあります。先日亡くなったボー・グエン・ザップ将軍の名札もありました。
ホーチミンの大統領官邸の司令室も見学しましたので両軍のを見学したことになりますね。
暗くなってから性懲りも無くビアホイを飲みに出かけてしまいました。
暗くなるとローカル感が一層増します。
テーブルの下には落花生の殻が散らばっています。ワタクシも負けずに殻を落とします。
多少いい気持ちになった帰り道、焼肉のいい匂いと兄ちゃんの掛け声に誘われて、ついまた路上のテーブルに腰かけてしました。
普段は商店なのですが、商店がシャッターを降ろすと、シャッターの前にコンロとテーブルが置かれ、路上焼き肉店に変身するのです。
何の気なしに座った席ですが、隣が偶然にも日本人の在住の方とベトナム人の女性通訳の方でした。
ワタクシが日本人だとすぐわかったらしく通訳の方が日本語で話しかけてきました。
フエ以来の日本語での会話となり話がはずみます。ハノイの庶民の暮らしの話題は興味深いものがありました。
ワタクシが昼間見た哀れな丸焼きのことを訊くとやはり犬でした…。
話しも尽きないところでしたが、お先にしつれいさせていただき、別れ際にはお二人からは名刺を頂戴し、女性通訳の方とはFBのアドレスの交換をしました。
明日ハロン湾での日本語ツアーに参加するので、久しぶりの日本語会話ができそうなことを楽しみにしていたのですが、思わぬ出会い続きのこの旅でまたひとつ出会に恵まれました。
足がまだ少し痛みます。フロントのスタッフにホーチミン廟を見に行きたいと相談すると、歩くとかなりあるのでタクシーを勧められました。
ドアボーイが信頼できるタクシーを捕まえてくれ、メーターでホーチミン廟の入り口まで6万ドン(約300円)行ってくれました。
ホーチミン廟は広大な敷地の中にあります。
入場は無料ですが、厳重なセキュリティチェックが終わると観覧希望者は2列縦隊に並ばせられます。
周りは警備の警官?兵隊?だらけです。
警官の合図でホーチミン廟まで縦列更新行進が始まります。まるで運動会の入場行進みたいですが、警官は大真面目です。
街歩きしているとあまり感じませんが、ベトナムはやはり社会主義国家なんだなあ、という感じが強くしました。
ホーチミン廟の建物は敷地の広大さに比べると思っていた程大きな建物ではありませんでした。でも一人の人間のお墓としてみるとやはり馬鹿でかいですね。
縦列行進のまま内部に入ります。もちろん撮影は厳禁です。
すぐにホーチミンの遺体が安置されている部屋に入ります。しかし止まることは許されませんので、遺体が見られるのは周囲を回る十数秒だけです。
ただし目の前で見ることが出来ます。
遺体はまるで蝋人形のようでした。蝋人形が置いてあっても誰もわからないでしょうね。
廟の外部へ出ると縦列は解散です。
そのまま進むと公園みたいなところに出るのですが、チケットを買わなければ入れないので出口を探します。
ところが広大な敷地なのに出口の案内表示がありません。
廟を出ると行進からは解放されますが、あとはほったらかしという訳です。
でも歩行が許されていない車道を歩いていると警官が遠くからでも警笛を鳴らして注意します。やはり見られて いるんですね。
ワタクシ同様、出口がわからなくてうろうろしている欧米人観光客がいました。
彼はバックパックをしょってきたので強制的に預けさせられたので困った様子でした。
そういう自分もウロウロしながら観光客を案内しているガイドに聞いてようやく出口を見つけました。
往きはタクシーで来たので帰りは近辺の見所をゆっくり歩きながら観光して帰ることにしました。
歴史軍事博物館では捕獲した米軍の戦車や戦闘機に並んで、北爆の際に撃墜された軍用機の破片でモニュメントが作られていました。いかにも勝利を誇る気分が露骨ですね。
館内ににはサイゴン陥落の際、大統領鑑定に突入したソ連製の戦車が国宝として展示されていました。
別棟では新兵の集団と一緒になり、ハノイ爆撃に対する北ベトナム軍の反抗の映像を鑑賞します。
彼らは新兵教育の一環としてこの博物館を訪れたようです。
軍事博物館のカフェで休憩した後、そのまま歩いてタンロン遺跡に向かいます。
ここは歴代ハノイの王朝が都を置いたの跡で世界遺産に指定されています。長い間軍の管理下にあって非公開でしたが、修復が済んだエリアは公開されるようになりました。
端門はハノイを象徴する建造物のひとつですね。
ちなみにタンロンとは龍が昇るという意味です。
街中ではあまり見かけることができなかったアオザイ姿の若い女性の集団が門の前にいました。
どうやら学生のようです。何か行事があったようですね。痛む足を引きずって歩いて来た甲斐がありました。
タンロン遺跡は修復されていない、あるいは復元されていない遺跡がまだかなりあるようです。
一方敷地内の建物の中に北ベトナム軍のの最高司令部が入っていたものがありました。
会議室のテーブルには誰がどこに座っていたのか名札が置いてあります。先日亡くなったボー・グエン・ザップ将軍の名札もありました。
ホーチミンの大統領官邸の司令室も見学しましたので両軍のを見学したことになりますね。
暗くなってから性懲りも無くビアホイを飲みに出かけてしまいました。
暗くなるとローカル感が一層増します。
テーブルの下には落花生の殻が散らばっています。ワタクシも負けずに殻を落とします。
多少いい気持ちになった帰り道、焼肉のいい匂いと兄ちゃんの掛け声に誘われて、ついまた路上のテーブルに腰かけてしました。
普段は商店なのですが、商店がシャッターを降ろすと、シャッターの前にコンロとテーブルが置かれ、路上焼き肉店に変身するのです。
何の気なしに座った席ですが、隣が偶然にも日本人の在住の方とベトナム人の女性通訳の方でした。
ワタクシが日本人だとすぐわかったらしく通訳の方が日本語で話しかけてきました。
フエ以来の日本語での会話となり話がはずみます。ハノイの庶民の暮らしの話題は興味深いものがありました。
ワタクシが昼間見た哀れな丸焼きのことを訊くとやはり犬でした…。
話しも尽きないところでしたが、お先にしつれいさせていただき、別れ際にはお二人からは名刺を頂戴し、女性通訳の方とはFBのアドレスの交換をしました。
明日ハロン湾での日本語ツアーに参加するので、久しぶりの日本語会話ができそうなことを楽しみにしていたのですが、思わぬ出会い続きのこの旅でまたひとつ出会に恵まれました。