パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

12月11日 ビエンチャン 3日目 ②

パトゥーサイからメコン川沿いに向かう大通りにタラート・サオというビエンチャンでも最大級のショッピングモールがあります。モーニングマーケットと通称されていますが、当然午後も営業しています。

食品以外は何でも揃うと豪語しているようですが、なんたってラオスですからそれほどでもありません。

中にはラオスではじめて設置されたエスカレーターなんぞもありました。

イメージ 1



タラート・サオの隣にかなりローカル度の高い市場がありました。

ガイドさんが案内してくれましたが、一人だと迷いそうな入り組んだ市場でした。

肉売り場は相変わらずの迫力です。前から気になっていたのですが、売れ残りはどうするのかガイドさんに尋ねてみました。

売れ残りは氷で冷やして翌日に売る、ただし値段は下がるとのことでした。やはり新鮮な方がたかく売れるんですね。

でも1日の差ってお客は区別つくんですかね?

イメージ 2




昼食は市場の雰囲気とは一転して高級そうなレストランでいただきました。

店内にはこの店を訪れた時の民主党最後の首相やヒゲの皇族の写真が飾ってありました。ツアーでなければまず縁のない高級店のようですね。

イメージ 5


ランチはラオス料理のセットメニューでしたが、それでもやはり屋台料理とは違って丁寧に作られて味も上品でした。

カオ・ニャオも日本の赤米みたいな色をしていてとても美味しかったですね。

しかもビアラオのゴールドという1ランクうえのビールがあると聞いて迷わず注文いたしました。

イメージ 3




昼食後は中心街を出て郊外に向かいます。

ビエンチャンもやはり中心街を離れると道路事情は最悪で、デコボコの道をジャンプしながら車が進みます。


やってまいりましたのはメコン川沿いにある通称ブッダパークと言われるところ。

ブンルアンという人が自分の宗教観に基づいて開いた一応寺院だそうです。

そこには寝釈迦をはじめちょっと変わった感じの仏像が庭園のような敷地にちりばめられて置かれています。

ラオス社会主義国化した時、ブンルアン氏は川向こうのタイに逃れ、同じような寺院を作ったそうです。

イメージ 4



ブッダパークで多少面食らったあと、タイとラオスを結ぶ友好橋を歩きます。

この橋を通る道路には鉄道が通っています。鉄道と車はそのまま橋を渡ることができますが、歩行者は真ん中のこの標識まででした。

ラオスの旗の向こうにタイの国旗が見えます。向こう側はもうタイなんですね。

国境といえば海しかイメージできない日本人にはなんだか不思議な世界ですね。


ガイドさんが子供の頃はメコン川の中州でタイの子供達とよくサッカーをして遊んだそうです。言葉も通じたと言ってました。

川向こうに親戚がある人も多いそうで、国境というのは政治が決めた便宜的なもので、そこに暮らす人々にとってはあまり関係ないのかもしれないこともあるんですね。

昨日メコン川の夕日を楽しみました。その時は気がつきませんでしたが川向こうはタイだったんですね。ワタクシはタイに沈む夕日を見ていたことになりますね。

イメージ 6


ツアーを終わった後、暗くなってからメコン川沿いのゲストハウス街にまた出掛けました。

毎日ナイトマーケットが開かれますがルアンパバーンのほうが賑やかでしたね。

典型的なラオススタイルの女性をここでもよく見かけます。

イメージ 7




大阪ハックチャオでまた和食をいただきました。今日はチキンカツ定食です。お寿司もありますが、やはりお寿司は日本でいただきたいですね。

イメージ 8


食事をしていると75歳の一人旅の大先輩から話しかけられ、しばらく楽しい時間を過ごすことができました。

新潟県で農業を営まれている方で農閑期になると個人旅行をされている方でした。

今までは奥様と一緒に旅をされていたそうですが、最近は奥様の体調がすぐれないので一人旅をされているそうです。


この方ネットも英語も全くダメで個人で旅行されている、というのですからすごいものですね。旅にもいろんなやり方があるものだと実感しました。