パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

12月18日 コルカタ 2日目

 
 いよいよ実質的なインドの旅が始まります。
 
 朝5時、部屋の中に響き渡るモスクからのアザーンの大音響で目が覚めます。インドはヒンズー教の国だと思っていたのですが、意外にムスリムも多く宿のそばにモスクがあったようです。これなら目覚まし時計もいりません。
 
 今回の宿はコルカタカルカッタ)のシティーセンター地区のサダル・ストリートにあるアストリア・ホテルをとりあえず2泊分予約しておきました。
 
 コルカタに何日泊まるか、3泊以上する場合どこにするからは今日・明日で決めようと思っています。
 
 
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 朝食後朝の散歩にでかけます。
 
 朝のコルカタは思っていた以上に気温が低く、長袖シャツを着こんで出かけます。
 
 サダル・ストリート周辺には安宿が多いことは前に書いた通りですが、その代表格がスチュアート・レーンにあるホテル・パラゴン。
 
 今でも日本人バックパッカーが多い宿として有名です。ガイドブックによるとドミトリーで1泊120ルピー(240円)。もちろん冷房などはありません。宿泊者のコメントによると南京虫も出るようですが、長期滞在する日本人も多いようです。
 
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  その隣にあるホテル・マリア。「ここも日本人が多い安宿」とガイドブックにはあります。 シングルルームで1泊200ルピー(400円)。こちらも外観はなかなかのものですね。
 
  
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  40年前にバックパックを担いでコルカタに来ていたらワタクシもこれらの安宿に泊まったかもしれませんが、持病があり夜中にしょっちゅう目が覚めてトイレに行くような年齢ではとてもこうした宿に泊まるのは難しいですね・・・。
 
 それでもどっかに「泊まってみたかったなあ・・・」という気持ちがあったので朝の散歩の第一訪問地にしたのでした。
 
 
 この2つの安宿が並ぶスチュアート・レーンです。白い自動車はインド国産のTATA。通りの反対側に見える白っぽい箱のようなものは男性用トイレです。
 
 不衛生で有名なコルカタですが、意外にこうした公衆トイレを見かけます。こうした施設があってもあちこちで立ち小便(インド人は男性でも座って小用を足す人が少なくありません)をする人が多いのもインドですね。
 
 
 
 
 
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  まだ人通りの少ないサダル・ストリート。通りの右側のクリーム色の建物がワタクシの宿のアストリア・ホテル。外観はボロいですが、内装は割ときれいです。
 
 通りの左にスチュアート・レーンがつながります。客待ちのリキシャ(人力車)がもういますね。
 
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 インド・ルピーが少ししかないので宿でATMの場所を教えてもらい(気が付くとそこら中にありました)行ってみると、なんとストライキの張り紙が・・・。
 
 さっそくインドの洗礼なのでしょうか。銀行がストライキというのは日本では考えられないですが、考えられないことが起きるのがどうやらインドのようです。
 
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 仕方なく、またバンコクに戻るのでとっておいたタ・バーツを両替屋でインド・ルピーに両替してもらいます。
 
 細かい紙幣も入れてもらったので宿の近くの通りにあるチャイ屋でチャイをいただきます。建物の壁に張り付いたような奥行のない店でチャイや菓子などを売っています。
 
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 素焼きの小さな器で飲むと1杯5ルピー(10円)。甘くて体がとても温まります。
 
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 立ち飲みでもいいですが、通りの反対側に板が渡してあるのでそれが長椅子代わり。車やリキシャが通る中ですが椅子に座ってゆっくりいただきます。
 
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 チャイを飲んで少し気持ちも落ち着いた後、近くにあるニューマーケットに行きます。
 
 ニューマーケットには数多くの店舗があって土産物はここで何でも揃うといわれています。ところが中に入ると怪しいオヤジがまつわりついてきてます。客引きですね。
 
 
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 ニューマーケットの中ですが、う~ん・・・。
 
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 ・・・これもどうやら肉売り場みたいですが、すごい匂いがします・・・。ほんとにここで肉を買うんですかね・・・?
 
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 もっといろんな店舗を見てみようと思ったのですが、さっきからつきまとう客引きが、何度断っても強引に自分の店に連れて行こうとするので内部の見学はまたにすることにしてニューマーケットを後にしました。
 
 客引きに邪魔されて散歩ができなかったなんてことは初めての経験ですが、やはりこれもインド流なのでしょうか。
 
 
 近くにチョウロンギー通りという大通りがあります。そこに面してインド博物館があるので行ってみると残念ながら修復中ということで閉鎖されていました。
 
 看板を見てもいつ再開されるかはっきり書いてありません。
 
 
 どうも今日は思い通りにはいきません。思い通りにいかないのがインドだ、思い通りにいかないのが当たり前、と思わないとインドを旅することはできないのかもしれませんね。
 
 
 チョウロンギー通り沿いの歩道にはたくさんの屋台が出ていました。
 
 その中の人だかりがしている一軒で小腹を満たします。食べ物の名前を訊くと「プリブリ」とか言ってましたが正確かどうかはわかりません。
 
 
 
 
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 乾いた葉っぱの上に小さなチャパティ4枚とカレーを載せて10ルピー(20円)。チャパティにカレーを包みながらいただきます。カレーはそれほど辛くありません。 
 
 衛生状態を問わなければなかなか美味しいものでした。インドの屋台で衛生状態をチェックしたら日本の保健所だったらきっと卒倒するでしょうね。
 
 
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 旅に出る前から痛めていた左足の足底腱膜炎が疼きだします。歩きをやめて地下鉄に乗ってみることにしました。
 
 
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 コルカタはインドで一番最初に地下鉄が開通した都市です。
 
 マハトマ・ガンジーまでの切符を窓口で買います。切符はトークン形式です。お金を払うと係員は面倒臭そうにトークンを投げてよこすのがコルカタ流です。
 
 「東京でやったらブットバスゾ!」と内心では罵倒しながら愛想笑いを浮かべてトークンをキャッチします。
 
 料金は距離にもよりますが、5ルピー(10円)から15ルピー(30円)程度と格安です。
 
 
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 あとから気が付いたのですが地下鉄構内は撮影厳禁です。これ以降は一切撮影はできませんでした。
 
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 マハトマ・ガンジー駅で降りて痛む足を引きづりながらマハトマ・ガンジー通りをひたすら西に向かって歩いていきます。
 
 このあたりは観光客らしき歩行者は見かけません。めまいが起きそうになるほどうるさいクラクションが鳴りやまない中、地元の通行人で一杯の歩道を避けて車道を足をひきづりながら歩き続けます。
 
 休憩できるようなカフェは見当たりません。あるのはチャイ屋ばかりで立ち飲みするしかありません。
 
 
 
 
 
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 何とかたどり着いたのがハウラー橋です。
 
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 コルカタ市内を南北に流れるフーグリ川に架かる大きな橋です。歩行者用の通路があるので歩いて渡ることができます。
 
 大沢たかお主演のテレビドラマ深夜特急でも大沢たかお扮する沢木耕太郎がハウラー橋を渡るシーンがありました。
 
 のんびり写真を撮りながらしながら歩いていたら警官に注意されてしまいました。橋も撮影禁止だったんですね。
 
 インドは第二次大戦後もパキスタンと戦争をしていますし、反政府テロで首相が何人も暗殺された歴史をもっていますので、日本から見ると過剰なほど公共設備での警戒が厳しいようです。
 
 
 
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 ハウラー橋からさらに歩くとコルカタの鉄道の玄関口ハウラー駅にやってきました。残念ながらこちらも内部は撮影禁止です。
 
 わざわざ痛い足をひきずってやってきたのは、ハウラー駅に行ってみて様子を見てみようと思ったからでした。
 
 というのは、コルカタの次にどこに行くかまだ決めていないものの、移動はヨーロッパ散歩でそうしたように鉄道を利用しよう、と何となく考えていたからです。
 
 
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 しかし、実際にハウラー駅に足を踏み入れてみて、暗い駅舎の中にうごめいているたくさんの人たち・・・駅の中が暗い上に人々の肌の色が浅黒いので全体が一層暗く感じます。
 
 切符売り場にひしめく長蛇の列、切符がないと改札口から入れないので正確にはわかりませんが、改札の向こうの混雑ぶりを見たとき、直感的に「これは無理だ・・・」と感じました。
 
 大荷物がある上に痛みで足を引きずる中で、たとえ指定券を持っていても座席争いが発生する(と言われる?)インドの鉄道を乗り継いで移動するのは相当困難であると直感したのでした。
 
 
 
 
 再びサダル・ストリートに戻ります。
 
 朝チャイを飲んだ店で今度は10ルピー(20円)でチャイを飲みます。朝の素焼きよりも大きいコップで飲みます。このコップも洗ってあるんでしょうけどね・・・。
 
  
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 子供の店員に50ルピー札を渡すと子供はそれを店主に渡し、店主から釣りの40ルピーを受け取ります。彼の所作をじっと見ていると、左手に20ルピー札と10ルピー札を1枚ずつ持ち、右手にも10ルピー札を1枚持って戻ってきます。
 
 するとワタクシには左手に戻った札だけを戻そうとするので、彼の右手から10ルピー札を取り上げます。
 
 札を取り上げても彼は何事もなかったような顔をしています。
 
 地元のインド人には通用しないのでしょうが、ルピー札、特に20ルピー札に不慣れな観光客が勘違いをすれば儲けもの、くらいに思っているのでしょう・・・。子供といえども油断ができないのがインドなのです。
 
 
 ホテル・パラゴンの前には日本のバックパッカーに良く知られたインド人S氏が土産物の屋台を出しています。ワタクシも彼のことはネットで何度も見たことがありました。
 
 彼は流暢な関西弁を操るので有名でした。
 
 パラゴンの前に行ってみると彼がいました。彼にとってはワタクシは初めて見る顔ですが、ワタクシは何度もネットで写真を見ているので初めて会う気がしない、という妙な出会いでした。
 
 この日は少し雑談をしただけですが、日本語がペラペラなのでなんだかホッとするから不思議です。何しろ宿のすぐそばで店を開いていますのでこれから毎日顔をあわすことになるでしょう。
 
 
 
 今日は足が痛むのでこれ以上は街歩きせず、宿に戻って休んだ後夕食にします。
 
 宿の目の前に「レストラン」を名乗る店があったので汚い椅子に座ってシンガポール風焼きそば 40ルピー(80円)をいただきます。どこがシンガポール風なのかよくわかりませんが、不思議と食べているとシンガポールのミセスRを思い出すのが不思議です。
 
 
 
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 ビールを所望すると店の手伝いをしている子供たち三人姉妹弟のうちの姉が100ルピーだせば買ってくるというのでお願いします。
 
 新聞紙に包んで持ってきてくれたのがインド国産のビール・キングフィッシャー。姉にはしっかりチップを取られました。
 
 子供なのに世界各地からくるバックパッカーと接しているせいか英語が達者です。やはり実践で鍛えた英語にはかなわないですね。
 
 
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