12月24日 バラナシ 2日目①
世の中は世界中でクリスマス・イブを楽しみにしている12月24日、夜明け前に起きて、昨日の夜に引き続き明け方のガンジス川のガートのボートによる見物にでかけます。
朝5時過ぎに目が覚め、ipad mini を使おうと思いましたが、6階だったせいか部屋のwifiの接続が悪くつながりません。
ロビーならつながるだろうと思って階段を降りていくと、ロビーのソファや床にたくさんの人が寝ているのでびっくり。
ホテルの若いスタッフです。彼らは住み込みで働いているようですが、部屋はなくロビーで寝ているのでした。結局6時過ぎまで部屋にいるしかありませんでした。
朝食前にガートに出かけます。夜明け前のバラナシは非常に寒く、ダウンジャケットを着こみルアンパバーンで買ったスカーフを首に巻いてもまだ寒いくらいです。
今朝も小さなボートでガンジス川をのぼっていきます。
昨晩と異なりボートの漕ぎ手とは別にホテルのスタッフが乗り込み、解説をしてくれます。そして同乗者はロシアのキャンディーズ。
ロシア語はほとんど知らないので、挨拶代わりに「おーちん・はらしょー」と言ったら軽く受けてました。
明け方のメイン・ガート(ダシャーシュワメード・ガート)にはすでにたくさんのヒンズー教徒が集まって沐浴をしています。
ボートは宿の近くのジャンキー・ガートを出発し、南から北へガンジス川を上ります。中間地点にあるメイン・ガートを過ぎて少し経つとそれまでのガートの光景とは一変した煤けたガートに着きます。
そこにはたくさんの薪が積まれていました。
ここがマニカルニカー・ガートです。バラナシではガンジス川沿いに82ヶ所のガートが連なっていますが、マニカルニカー・ガートはそのうち2つある遺体を焼くガートのうちのひとつです。
地上では遺体を焼くガートの撮影は厳禁ですが、同乗のスタッフによればボートから撮影するのは構わないとのことでした。
このガートでは24時間遺体を焼いているとのことでしたが、幸か不幸かワタクシたちが前を通り過ぎたときは焼いていなかったようでした。
ガートにボートが近づくとたくさんの人が沐浴をしているのがよく見てとれます。かなり寒いですし、ガンジス川の水も結構冷たい(手を入れて確かめました)のに平然と沐浴をしています。
ボートに乗ったジャンキー・ガートからマニカルニカ―・ガートの間をゆっくり往復し、その間スタッフがいろいろと解説してくれます。
ロシアのキャンディーズは英語が達者名のは1人だけで残りの2人にロシア語で説明しているようでした。
スタッフは当然ワタクシにも英語で話しかけてきますが、割と聴き取りやすい英語でゆっくり話してくれたので彼の説明も大体理解することができました。
宿に戻って最上階のレストランで朝食を取った後、今度は自家用車で市内観光にでかけます。お客はワタクシ一人でした。運転手は空港に迎えに来てくれた若いインド人でした。彼はホテルのスタッフの一人のようです。
コルカタとの大きな違いはやたらと牛が多いことでした。飼い主がいるのか野良牛なのかよくわかりませんが、とにかくあらゆるところに牛がうろついております。
市内観光には土産物屋への案内がつきものだったんですね。市街観光の途中で狭い路地に連れて行かれ…
生地屋に拉致されてしばらく監禁。 怖い顔をした(本人は普通の顔をしてるつもりなんでしょうが…)インド人店主に迫られ、小心者のワタクシは安物のスカーフを1枚買ってようやく釈放されました。
土産物屋から解放されたあとはバラナシの市街から車で40分ほど離れたサルナートの街に向かいます。
サルナートはお釈迦様が悟りを開いた後最初に説教をした場所といわれ、仏教の聖地の一つとされています。
6世紀に造られたというダメーク・ストゥーパはかなり大きな建造物で壁の周りにはきれいな文様が残っていて、たくさんの礼拝者が拝んでいました。
パリッとした制服を着たいいとこの坊ちゃん、嬢ちゃんたちのようでした。
ここには教科書で名前を聞いたことのあるアショーカ王にかかわる遺跡も残っています。
インドの歴史は詳しくありませんが、教科書で読んだことのある王様の名前が出てくるとさすがに身が引き締まりますね。
サルナート観光が終わると、再びバラナシの市街に戻り、こんどはアーユルベーダーのマッサージを受けました。別料金ですが、物は試しとアーユルベーダーのマッサージと油を頭にポトポトと垂らしながら頭のマッサージをするスボダラなんとかとかいうのもやってもらいました。
マッサージを受けるにはすっぽんぽんにならなければなりません。ただしマッサージ師はむくつきオッサンでした。念のため。
写真は撮ることはできませんでした。マッサージを受けた場所の前にはごらんの通り牛がゴロゴロしていました。まるで野良猫がいるみたいな感じで牛が街なかを徘徊しているのがバラナシです。