パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

1月4日 デリー2日目①

 非常勤の仕事を始めてから、久しぶりの仕事だったためか結構疲労がたまっております。
 
 ブログもサボってばかりで大変申し訳ございません。
 
 引き続きインドの旅を書き綴ります。なんといっても悠久の国インドですので気長にお付き合いくださいませ。
 
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 さて、1月3日にバラナシを発ち、デリーに到着した翌日、今日からデリー周辺観光に出発します。
 
 午前8時過ぎ、ホテルに約束通り運転手が迎えに来ました。昨日のワタクシの勘違いで電話した件を率直にお詫びし挨拶をします。
 
 
 
 運転手の名はMr.Grover。なんだかドイツ人みたいな名前ですが、れっきとしたインド人でデリー在住。64歳です。
 
  
  
 
 
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 ご覧のとおり立派な髭を蓄え、頭には月光仮面かアラーの使者(古いね)のごときターバンが・・・。
 
 つまり彼はシーク教徒ということですね。インドに来てシーク教徒と話をするのは初めてです。
 
 これから一週間、デリー→アーグラー→ジャイプル→デリーと彼の運転で観光をして回ります。
 
 
 彼にもインド人特有の発音の癖があり、慣れるまで聞き取りにくかったのですが、彼とは終始英語で会話します。
 
 ・・・と言ってもワタクシの会話力が追い付かないので、インド哲学の深淵に触れるような話にはならず、どうでもいい話に終始してしまいましたが・・・。
 
 
  この車が彼が運転し、ワタクシは助手席に乗って時に彼と話し、時に居眠り・・・とにかく一週間乗り続けた車です。
 
  
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 車に詳しい方はご存知の通り、スズキのスイフトです。インドではマルチ・スズキという会社名になっています。おそらくスズキとインドの会社の合弁会社かなにかなのでしょう。
 
 インドでは国産のTATAが強いのですが、外国産ではスズキの車も人気だそうです。G氏によるとスズキはサービスネットワークがインド全国にある上、車体価格も比較的低価格ということで人気があるとか・・・。
 
 たしかにこの車はあちこちで見かけました。
 
 
 
 
 そんなスズキ・スイフトに乗ってデリー観光に出発です。
 
 冬の朝のデリーは霧が深く、視界がかなり短くなっています。飛行機の欠航が一番多いシーズンだといいます。
 
 最初に訪れたのがジャマ―・マスジット
 
 中庭には2万5千人が収容できるというインド最大のイスラム教礼拝所で、金曜日(ジャマ―)には集団礼拝の場所になるそうです。
 
 今朝は金曜日ではないので閑散としています。冷たい空気がかもしだす敬虔な雰囲気はさすがです。
 
 
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  次に訪れたラール・キラー(レッド・フォート)を訪れたころは一番霧がひどく中に入っても見えそうもないので外観だけ見ることにしました。
 
 ところがここで一大ハプニングが・・・
 
 
 
 
 G氏が「ここでレッド・フォートのベスト撮影スポット!」と言って車を止めてくれたので、降りようとして助手席の扉をワタクシが開けると、後ろから・・・
 
 
 
 
 
 はい、オートバイが突っ込んできて扉と激突してしまいました・・・
 
 
 日本の道路交通法では、こういう場合ワタクシよりも、運転手の過失が問われると聞いたことがありますが・・・
 
 それはともかく突っ込んできたオートバイは今風のホンダ製のきれいなカウリングのついた大型のバイクでしたが、カウリングが割れ、正面のライトもずれてしまい、右側のウインカーもぶっ壊れてしまいました。かなりの損傷です。
 
 G氏がすぐ降りてバイクのドライバーと話が始まります。ドライバーは少し手も痛めたようです・・・
 
 
 
 
 道路上だったので場所を移すことにし、レッド・フォート前の駐車場みたいなところにバイクを移動させます。
 
 駐車場には他にもバイクがたくさんあって・・・ぶつかったドライバーと同じような服装…カーキ色の服にベレー帽・・・??あれれ、彼らは警官らしい・・・ということはこのドライバーも警官??
 
 
 日本なら今頃、通報でパトカーが飛んで来ているでしょうが、それらしきものは来ません。警察の駐車場に連れ込まれたためなのでしょうか・・・
 
 真相は不明ななかでドライバーとG氏の話が続きます。
 
 
 
 ヒンドゥー語で話しているので中身はわかりませんが、ドライバーがかなり怒っているのはわかります・・・時々こちらをチラチラと見ます。
 
 G氏の言葉のなかに「デリー・・・、アーグラー・・・、ジャイプル・・・」というのが聴き取れましたので、多分ワタクシのことが話題になっているのでしょう、当然ながら。
 
 
 そこから延々、両者静かな中でも粘り強く話が続きます。
 
 こちらとしてはどうしようもないので、ただただ推移を見ているだけですが、内心では「このバイクの壊れようでは、罰金とかは別にして、修理には日本なら10万円以上はかかるだろうなあ・・・、G氏は保険に入っているのだろうか・・・?、そもそもインドに損害保険なんてあるのか??・・・」などと頭の中をぐるぐる廻ります・・・。
 
 
 
 
 どのくらい時間がたったのでしょうか、突然G氏がワタクシに「1000ルピー(1800円)をこのドライバーに支払いなさい」と言います。
 
 金額からすると手付ということなのでしょうか。
 
 
 
 
 言われるままに1000ルピー札をドライバーに渡すと握手を求められます。ドライバーの顔は苦虫をかみつぶしたようなままです・・・。
 
 
 握手が終わるとG氏に促されて車に乗ります。
 
 駐車場を離れるとG氏は「さあっ!デリー観光の続きだ!」と言います。
 
 いったいあとからどれだけ請求されるのか?考えるのもしんどいのでもうそれ以降事故の話題はお互いに触れませんでした。G氏が気をつかってくれたのかもしれません。
 
 
 
 
 ・・・で、結局それで終わりでした⁇
 
 
 
 
 
 それ以外ドライバーからの要求も何もなく、連絡もありません。
 
 
 
 保険で対応したのか、G氏にも聞きませんでしたので分からずじまいですが、それにしてもあの壊れようと多少の怪我もあったみたいなのに1800円で終わり…なんだか狐につままれたみたいな話でした。
 
 
 
 G氏の車も扉が凹んでしまいました。あとでワタクシが観光している間にどっかの修理屋で打ち出してもらい、塗装がはがれたところに白い塗料を上塗りしていたので、さすがに弁償しようと思ってG氏に金額を尋ねると500ルピー(約900円)だと言います。
 
 やっぱりインドは日本人が考える価格とは別の世界があるようです・・・
 
 
 この時はまだ最終決着になったかどうかわからなかったので、観光にはあまり気が進まなかったのですが、G氏が熱心に薦めてくれたので、気を取り直して市内観光を続けました。
 
 
 
 
 
  ラージ・ガートはあのマハトマ・ガンジーのお墓です。
 
 広い敷地の中は途中から靴を脱いで歩いて進みます。
 
 すると石造りの彼の墓が見えてきます。墓と言ってもかれはここで死の翌日に火葬にされた場所で、遺灰はインド各地に流されたそうで、ここには遺体も遺骨もありません。黒い大理石が置かれています。
 
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 インド国内はもとより世界中からここに訪れる人が絶えません。
 
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 ガンジーは晩年はヒルラー財閥のデリー邸で過ごすことが多かったそうで、1948年1月30日午後5時17分、その敷地内の中庭に造られた寺院に祈りのために向かう途中凶弾に倒れました。
 
 現在、その邸はガンジー記念博物館として整備され、ガンジーが寝室から中庭まで歩いた道にガンジーの足跡が印されています。
 
 
 
 
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  その足跡は中庭のほぼ中央で途切れており、そこでガンジーは凶弾に倒れたのでした。そこには石碑が建てられています。
 
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