パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

11月7日 バトゥ・パハ 1日目

今日はクアラルンプールからバトゥ・パハまでバスで移動します。

ブキッ・ビンタンの宿を午前9時過ぎに出て途中モタモタしていたのでTBSバスターミナルに到着したのは10時半をまわっていました。

バスターミナルに着いた頃から寒気がしてきました。

喉の痛みに加え熱が出てきたようです。ターミナルのロビーで持参の風邪薬に加え医師に処方してもらった抗生剤も服用します。

ロビーは冷房がガンガン効いているのでヒートテックの下着を出して着込みますがまだ震えが止まりません。

已む無くバッグから冬のインドで着るつもりだったボタンダウンの長袖シャツを引っ張りだして重ね着してようやく落ち着きました。

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定刻どおりSSインターナショナル社のバスはバトゥ・パハに向けて出発します。

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バスもかなり冷房が効いていましたが長袖シャツまで着込んだおかげで寒くはありません。


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バトゥ・パハまで3時間のあいだ熱もあってうつらうつらしながら乗っていました。


定刻にバスはバトゥ・パハのバスターミナルに到着しました。

抗生剤と少し眠れたおかげで熱が下がり、だいぶ楽になってきました。寒気も収まったようです。


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バスターミナルにあるバス会社の窓口で明後日のシンガポール行きのチケットを買おうとしましたが、バトゥ・パハからシンガポールに直行する路線はないようです。

いったんシンガポールの手前のマレーシア領ジョホールバルまで出て、そこでまたチケットを買い直さなければいけないとのことでした。



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結局、同じSSインターナショナル社の窓口でバトゥ・パハからジョホールバルまでのチケットを買います。

所要時間は2時間。料金は9.2リンギ(約320円)。

自宅前のバス停から最寄り駅までの往復バス代より安いので思わず耳を疑ってしまいました。


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ホテルはバスターミナルから歩いて7~8分のペリカンホテルをagodaのアプリで予約していました。

最初は別のホテルを予約していたのですが日程を間違えて予約してしまい、キャンセルしてペリカンホテルを予約し直したのでした。

日程間違いの予約はこれで2回目。どうもいけませんね。

ペリカンホテルは一泊朝食付き料金が日本円で4000円を少し切るくらいでしたが、部屋は今までで一番広くとても綺麗でした。

wifiも部屋でちゃんと繋がります。予想外に立派なホテルでした。

ペナンで一緒だった筋金さんにまた「高い!」と言われそうですが、あちらは1年を超えるような旅を目指してるので旅のスタイルも自ずと変わって来ざるを得ないでしょうね。



ホテルに荷物を置き、シャワーを浴びて少し休憩してから夕方の散歩に出かけます。

バスターミナルに着いた頃はかなり暑かったのですが、夕方は風もあってだいぶ涼しくなってきました。



バスターミナルからホテルと反対側に10分くらい歩いたところにこの建物があります。

イポー同様観光スポットらしきものがないバトゥ・パハに立ち寄ったのはこの建物を直に見てみたい、と思ったからです。

今から80数年前、「マレー蘭印紀行」を著わした詩人金子光晴が滞在していた旧日本人倶楽部の建物です。




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かなり老朽化していますが1階には会社が入居しており現役の建物です。

戦前の日本とマレーは繋がりが強く、バトゥ・パハには日本人によるゴム園開発のための事務所が置かれ、また日本からの投資による鉱山開発の拠点でもあったそうです。

日本人倶楽部ができるほどたくさんの日本がいたということでしょうね。

町を見渡すと古い建物はほとんどが2階建てのようですから当時はかなり目立つ建物だったのでしょう。

帰国したら「マレー蘭印紀行」をちゃんと読んでみます。



バトゥ・パハ最初の夕食は散歩の途中で見つけた安食堂でいただきました。

皿にご飯をよそってもらい、あとは自分でトレーに入っている好きな具をご飯の上に載せます。

酢豚らしきものとキャベツのサラダ風の野菜。最後に野菜カレーをご飯の上にたっぷりかけます。

酢豚らしきものにはパイナップルがちゃんと入っていました。やはり酢豚ですね。

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席に着く前に店のオヤジに皿を見せて会計をします。5リンギ(約180円)。

お金を払うとオヤジにJapan? と訊かれます。笑顔でYes! と答えます。

欧米人を見かけないバトゥ・パハの中で前にもこの店で日本人が食事をしたことがあるのでしょうか。


何にもないこのバトゥ・パハで体調を整えるため明日1日ノンビリすることにしました。