プーリア州散歩行 ⑫チステルニーノに到着
(この記事は1月10日から1月21日までのイタリア旅行の記事です)
1月14日(土)
乗って来た車両の運転士は下車した乗客が外国人のワタクシだけだったせいか、運転席からワタクシに笑顔で手を振って出発して行きました。まことに長閑なものでありますね。
FSE(Ferrovie Sud est)線は日曜は運休となります。バスによる代替運行があるようですが、本数が激減します。そのため日曜日はできるだけ移動を避けるように日程を検討しました。
その結果、土曜日の夕方にチステルニーノに入り、2泊して移動しづらい日曜日はのんびりチステルニーノの街を散歩することにしていました。
チステルニーノ駅はロコロトンド駅同様駅舎には鍵がかかっていて誰もいません。
駅舎が閉まっていることにはもう慣れましたが、駅前の通りに出ても誰一人歩いていないのには少しうろたえてしまいました。
宿の所在地は一応地図上では調べてきたものの、実際にはこれまでも人に尋ねまくってたどり着くことを繰り返してきましたので、肝心の尋ねる相手がいないと困ってしまいます。
しばらく地図で調べた道を歩いていきますが、どうも地図で得た情報と周りの景色の雰囲気が違うようです。あたりは建物もないエリアなので誰も歩いていません。
やむを得ず適当に進んでいくとようやく市街地に入り、最初に出会った女性に宿のある通りの場所を尋ねるとすぐ近くにあることがわかりました。さらに進むと、とあるバールの前に男性がいたので宿のことを尋ねると、わざわざバールの中に連れて行ってくれてお客に訊いてくれました。すると宿はバールの目の前にあることがわかりました。
本日の宿は
Via Cappuccini 14、Piano 1,Cisternio 1泊朝食なし54ユーロ
ここもバーリの宿同様に雑居ビルの2階(piano 1)を宿として使っているタイプのものでした。Dimoraはイタリア語では「住居」という意味ですので、日本で言えばマンションの中の部屋を宿にしているということでしょうか。
入口には鍵がかかっていました。宿には事前に夕方5時までには着くとメールをしていたのですが…。
そこでバーリでSIMカードを買った携帯で宿の電話番号に電話すると、女性が出て「すぐ行くから待っていて」と返事がありました。
現れたのは妙齢の金髪の女性でした。早速一緒に建物に入り2階の部屋に案内されました。
が、この方「フランス語は得意だが英語は苦手。英語はゆっくり話して」と言います。ヨーロッパ人相手にこんなことを言われるとなんだか自分が英語がうまくなったような錯覚に陥りそうでしたが、
①近くの食料品店の場所
②歴史地区までの行き方
③明後日オストゥーニにバスで移動したいのでバスの発着所と切符の入手方法
を、ゆっくりと、イタリア語の単語も混ぜながら尋ねると、彼女も懸命に英単語を思い出しながら教えてくれました。
荷物をほどきシャワーを浴びてから、暗くなりかけていましたが散歩にでかけます。
まずは先ほどのバールに行ってカフェをいただきます。
金髪女性からオストゥーニ行きのバスの停留所がナビガトーリ広場にあると教えてもらったので確認に行きます。広場の近くには教えてもらった食料品店がありました。Vignolaと言う名前の店でした。
近くに銀行のATMがありました。宿によってはカード決済でなく宿泊当日に現支払ってきましたのでそろそろ手持ちの現金が少なくなってきていました。
もう夕方なので銀行は閉まっていましたが、ATMは建物の壁の外にあるので現金を引き出します。本当は建物の外側のATMは故障があったりすると困るので使いたくなかったのですが已むをえません。
少し暗くなってきましたが歴史地区までの道を確認がてら、さらに散歩を続けます。
宿から歩いて10分くらいでCentro Storico(歴史地区)の入り口の門(ポルタ・ピッコラ)に着きました。
小さな門をくぐると狭い路地が続きます。広場(といってもごく狭いものですが)にはイルミネーションが設置されていました。道を確認できたので本格的な散歩は明日に譲って宿まで戻ります。
昼食をマルティーナ・フランカの食堂でいただきましたので、夕食は部屋で摂ることにし、帰り道にあった店でリンゴとミカンを1.6ユーロで、別の店ではワインとハムとチーズを18.8ユーロで買い求め、夕食にしました。
その日の夜、日本ではまだ昼頃だったのでしょうか、職場の同僚からLINEで連絡がありました。世の中便利になったものですね。