プーリア州散歩行 ⑮オストゥーニに着きました
(この記事は1月10日から1月21日までのイタリア旅行の記事です)
1月16日(月)
この日は朝からバスでオストゥーニヘ移動します。
オストゥーニ行きのバスの停留所のあるナビガトーリ広場まで歩いて行き、バス停の前でバスを待ちます。
チステルニーノとオストゥーニをつなぐバスは朝の時間帯には何便かありましたが、その中で8時15分発のバスで行くことにしました。
オストゥーニに着いたら、時刻が速いのでチェックインはできないでしょうが、宿にまっすぐ向かい開いていたら荷物だけでも預けておくつもりでした。
ところがチステルニーノからオストゥーニに向かうバスを降りる場所がいまひとつピンときません。三か所あるようなのですが、一番わかりやすそうなのがイタリア広場(P.za Italia)という停留所でした。一応そこで降りてみることにしました。
日本でもバスは時として遅れたりすることがあります。イタリアも時間通り来るか保証の限りでないので早めにバス停に行って待つことにしたのでした。
高校生くらいの若者が歩いてきたり、車で送られてきたりしながら三々五々バス停の周りに集まってきます。どうやら学校にバスで通っているようですね。
やってきた一台のバスに彼らが乗り込んでいきますが、オストゥーニ行きではありませんでした。
しばらく待つともう一台バスがやってきました。バス正面にOSTUNIの表示もありました。
乗り込む前にオストゥーニ行きか運転手に再度確認して車内に進みます。
運転席のそばに何人かおっさん達がいましたが、乗客ではなくバス会社の人のようでした。
そこで、またグーグル翻訳を駆使して作文した怪しげなイタリア語で…
(ワタチ・オストゥーニ・イキタイ・アルネ。コレバス・イタリア・ヒロバ・トマル・アルカ?コレバス・ソコ・ツクアル・オシエテアルネ)
と関係ご一行さまにたどたどしくかつ必死で訴えると、ちゃんと理解してくれたようでした。
ようやく安心して席に着きます。なるべく運転手のそばの席に。
外は雨が降り出しました。マテーラ以外は雪はありませんが、天気は晴れたり雨が降ったり目まぐるしく変わります。
オストゥーニに近づくと道路標識にCitta Biancaという表示が見えてきました。そうです。オストゥーニはイタリア人の間でもCitta Bianca(白い街)として人気があるのでした。
ちなみにこのブログのタイトルの写真は朝日を浴びたオストゥーニの旧市街の眺めです。ベストスポットからワタクシが撮影しました。
バスに揺られること約40分でくだんのイタリア広場に到着します。
広場といってもなんだか普通の通りと変わりありません。ここから宿の近くにある広場までは少し距離があることはわかっていましたが、実際に降りてみるとどっちの方向に行ったらいいのかまったく見当がつきません。
やむを得ず、また電撃質問作戦の開始です。目指すは宿の近くにあるランドマークのリベルタ広場。
何人もの人(中にはベビーカーを押す若いママさんもいました)に
「スクージィ。ヴォレイ・アンダーレ・アラ・ピアッツァ・リベルタ…」と声をかけまくり、ようやく目指すリベルタ広場にたどり着きます。
グーグルのストリート・ビューで、宿そのものは画像で確認できませんでしたが、あらかじめ地図上にプロットされた宿の場所に見当をつけてきましたので宿を見つけるのは…
簡単ではありませんでした
google mapが宿の所在地として表示した場所に行っても宿がないのです。というより住所になっている通りそのものが見当たりません。
切符といい宿の地図といい…いったいどうなってるんだ!責任者呼んで来い!
とは言いませんでしたが、唖然としたのは事実であります。
とはいうものの、イタリアに入って6日目。求めるものがなくて右往左往するのにはもう慣れっこになっていました。
チェックイン時間にはまだ時間もありますし、ここは慌てずに散歩がてら周囲を歩いて宿を探そうと広場周辺を歩き始めました。
慌てて電話に出ると男性が出てイタリア語をまくし立てます。ワタクシが英語で返事をしても、この男性には想像を絶するほどに英語が通じず、やむなくイタリア語の単語を並べます。
この時点で「この人との会話は不可能に近い」と判断して電話を強引に切ってしまえばよかったのですが、実は電話がかかってきた時、てっきり「目指す宿からの電話がかかってきたのだ」とワタクシは思い込んでしまったのでした。
実は宿泊予定の宿とは数日前に「何時ころワタクシがオストゥーニに着くか等々」について何度かメールでやり取りしていて、この携帯電話番号もメールで伝えていたのでした。
しかも5日前SIMカードを買って取得したばかりの電話番号でしたので、関係のないイタリア人から電話がかかってくるなんてことはこれっぽっちも想像できず、この電話が今日の宿からのものとしか思い浮かばなかったのでした。
ワタクシが「ワタチ・オストゥーニ・イル・アルネ。ワタチ・イル・ヒロバ・リベルタ。アルベルゴ(イタリア語でホテルのことです)・ミル・デキル・ナイ・アルネ…」と必死に単語を並べて言うと、この男性は「自分はチステルニーノにいる…」と言います。
「このおっさん何を言っているの?」と思い「自分は広場の前にいるんだよ!」と繰り返してもラチがあきません。かといってこの男性はワタクシに要件を言うわけでもありません…。
しばらくこんなやり取りを繰り返したあと、結局男性は今チステルニーノにいてワタクシに電話をしてきたが、本人もなぜワタクシに電話したのかうまく説明できず、ワタクシも訳が分からないまま電話を切ることになりました。
チステルニーノで電話を使ったのは泊まった宿に電話をしたときだけです。この男性は宿の関係者だったのでしょうか…。
目指す宿からの電話でなかったとわかり、あらためて今日の宿の電話番号を調べ直して電話をかけると女性が出て、「チェックイン時刻より早いが、自分の父親が今部屋を整頓しているので終わり次第チェックインできる。あと30分したらリベルタ広場にある薬局の前で待っていて」と言います。
ワタクシが「薬局の場所がわからないので、広場にあるサン・フランチェスコ教会の前で待っている」と答えると「ペルフェット!では30分後に父親が迎えに行く」ということになりました。こんどは英語で何とか意思疎通ができました。
広場の周りを散歩したり、サン・フランチェスコ教会の中を見学しているうちに時間になったので教会の前で待っていると、地図で宿の場所とされた所とはリベルタ広場をはさんでまるっきり反対側のほうから、それらしき男性がこっちに向かってやってきます。
途中でリュックを傍らに置いた外国人のワタクシに気が付き、立ち止まって手招きしてきたので父親に間違いないようでした。
荷物をかついで彼の方に歩いていくと年配の男性でした。お名前はロッコさん。彼も英語を話せました。
彼に連れられて行くと広場を出てすぐの路地に今夜の宿がありました。
Vico Carlo Botta 6, Ostuni 一泊40ユーロ 朝食なし
Appartament とは変な名前だなと思ってましたが、ひと組客用の貸家風でした。キッチンも食器類もあります。Annamariaという名前はロッコさんの娘さんの名前で、さっき電話に出てくれた女性でした。
ここが玄関です。
一階の部屋にはソファ、テレビ、キッチン、食器類、シャワールーム、小さなテーブルがあります。
階段を上がると寝室になっています。大きなベッドとタンスがありました。
なんだか宿というよりは単身赴任先のアパートという感じで、まさに宿の名前のとおりでした。
また明後日チェックアウトしたあとはオストゥーニの駅まで車で送ってくれると言い、さらにコーヒーの粉が切れていたので夜に買い足して持ってきてくれることになりました。
どうやら2日間楽しく「暮らせ」そうな予感がしてきました。