パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

イスタンブール散歩行 18 オスマン軍楽隊と国際交流

 ガラタ橋からの市内遠景に満足し、さらに坂をくだっていくとカラキョイのあたりの大通りに出た。

時刻は午後1時30分過ぎ。次の目的地の軍事博物館に向かうことにした。

 軍事博物館は、タクシム広場からさらに北へ進んだところにある。
 そのため、わかりやすいルートをとったほうが無難だろうとカドキョイの停留所に戻り、またテュネルに乗ってイスティクラル通りに出てレトロなトラムで通りを北に上ってタクシム広場まで進み、そこからぶらぶら歩いていくことにした。

 これだとガラタ塔のあたりからだと辿り着くのに結構時間がかかるが、ちょうどいい時間に博物館に着くはず…だった。
 

 大通りはトラムの線路があるので道沿いに停留所を探しながら進んでいくが、どうも見たことのないあたりに出てしまった。

 トラムの停留所が近付いてきた。停留所名を見ると「トプハネ」となっている。カラキョイとは反対の方向へ歩いてきてしまったのだ。

 今回のイスタンブール旅行の最大の目的は軍事博物館で開催されるオスマン帝国の軍楽隊の演奏を生で聞きに行くことだった。この演奏は午後3時から始まるのだが、道に迷っているうちに時間がどんどん過ぎていき少し焦ってきた。トプハネ方面からも行けるのだろうがよくわからない。

 そこでやむなくカラキョイまで戻り予定のルートで博物館に行くことにした。

 時間がなくなってきたのでタクシム広場からタクシーを拾ったが、今度は運ちゃんが全く英語が通じず、軍事博物館のトルコ語をメモに書いて渡しても場所がわからないようだった。
 
 それでも運ちゃんは周囲に止まっていたタクシー仲間に道を聞いてくれ、ようやく目的地を理解したようだった。この間彼らの会話はトルコ語なのでさっぱり意味はわからなかったが…。

 やっとのことで軍事博物館にたどりついた。門扉が閉じられていて一瞬いやな予感がしたが、中から男性が出てきて招き入れてくれたので開館していることを確認できた。

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 ここでも入場券を買う前に荷物のX線検査が行われた。相変わらず観光施設といえども警備は厳重なのだ。

 検査後庭を歩いて建物に入り入場券を3YTLで買う。

 軍楽隊の演奏を聞くためにはさらにカメラの持ち込み料含んで6YTLの入場券を買う必要がある。

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3時まであまり時間がないので、武器などの見学は後回しにし、順路の最後のところにあるらしい演奏会場まで急いで進んでいく。

 途中で何人もの係員に「Mehter?」と聞きながら順路を進んでいく。トルコ語ではオスマン帝国の軍楽隊を「メフテル(Mehter)」と言うのだ。

 ようやく演奏会場の入り口にたどりついた。まだ演奏時間までは少し時間があるので会場前のテーブルに座って息を整える。

 そのうち地元の小学生の集団がやってきた。先生の引率でメフテルの歴史を語る展示の説明を聞きいっている。彼らも遠足でメフテルの演奏を聞きにきたのだ。

 彼らのおかげで混んでしまうのでいい席がとれないかも…とはじめは思ったのが正直なところである。

 テーブルでメモの整理をしていると、入場までいったん解散となった彼らも各テーブルに座って休憩をとることとなった。

 すると小生のテーブルに座った子供がメモに興味津々の表情を見せたので、小生がトルコ語で「イィ・ギュンレル(こんにちは)」と声をかけたことをきっかけに彼らとの楽しい国際交流が始まった。

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 彼らも人懐っこく、入れ替わり立ち替わり小生の席にやってきてはトルコ語や片言の英語でコミュニケーションを図ろうとする。トルコ語の単語を小生が口にすると大はしゃぎになる。

 彼らは11歳から12歳くらいとのことで、日本なら小学5・6年あたりだろうか。
 
 人のことは言えないが、彼らの話す英語もすごいものだった。「ドウ ユウ ライク スパゲッティ?」。この文字を日本語で読んだままの発音である。どういうわけか少なくとも10人以上の子供にスパゲッティが好きか訊ねられた。
  
 英語で年齢を尋ねると、「アイ アム トウエンティ!」と胸をはって応える子もいた。

 メモ帳に日本語で名前を書いて彼らに見せると次々に自分の名前を書いてくれた。

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 予想外の大騒ぎになってしまい、先生も寄ってきたので注意されるのかな?と思ったら、子供の相手をしてくれたことの感謝の意味なのか、先生からお菓子をいただいてしまった。



 いよいよ開場となった。 子供たちと一緒に並んで演奏会場に入る際、軍楽隊の曲で唯一何度も繰り返してCDで聴いた「Ceddin Deden」の冒頭のフレーズを小生が口ずさむと、トルコでは小学生でも知ってる曲らしく子供たちも一緒に歌いはじめ大合唱となってしまった。


 オスマン帝国の軍楽隊を初めて知ったのはずいぶん前に「世界なるほどザ・ワールド」とかいう番組に軍楽隊がゲスト出演したのが初めてだった。
 その際に最初に演奏されたのが「Ceddin Deden」であり、勇壮な演奏に強い印象をもったのだ。以来一度現地で本物を見てみたいと思い続けていたのだ。

 夏はトプカプ宮殿でも演奏しているようだが、冬は一年中演奏している軍事博物館でないと観ることができない。

 最近はYOU TUBEなどで簡単にこの会場での演奏を見ることができる。

 演奏は途中の休憩をはさんで約30分。ウイーンを包囲した際の軍楽隊の演奏がヨーロッパの音楽家への影響を与え、モーツァルトやベートーベンのトルコ風の音楽を生むきっかけとなったことはも有名な話だ。

 イェニチェリと言われる近衛兵の独特の衣装も楽しく、オスマン軍楽隊がはじめて使用したシンバルと太鼓のリズムが士気を高める。
 聞いていると「よ~し、明日も頑張って観光するぞ!」という気になるから音楽の力とは偉大なものである。

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 軍楽隊なので演奏や歌い手以外に鎧を着て刀を構えるだけの人、行進の際独特のスタイルで手を振って進むことだけが役目の人もいて面白い。
 
 待望の「Ceddin Deden」の演奏となると思わず隣の子供たちと一緒にまた小声で合唱をしてしまった。この曲はオスマン帝国時代のものではなく近代になって作曲されたものだが、日本でもCMに使われるなど人気のある曲だ。
 
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 演奏が終わり、会場から出る時は子供たちや先生を先に送り出し、手を振って別れを告げた。

 
 入るときはどこの部屋も見学しなかったので帰路に少しだけ見学した。昔の刀や銃のコレクションはな
かなかのものである。庭には大砲や古いジェット戦闘機が展示されていた。

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 演奏会場でいちばん前の席を占領していた一団にまた出くわした。どうやら韓国軍の関係者らしく、トルコ軍差し回しの車で博物館から出ていった。



 予想外の楽しい交流のおまけまでついて今回の旅の最大の目的を達成したことに気を良くし、少々遠いが歩いてタクシム広場まで戻ろうとしたが、ちょうどバスが来たので飛び乗った。こういうときもアクビルがあるので気楽に乗ることができる。

 乗客に停留所を教えてもらいながら無事タクシム広場に戻ることができた。