パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

千住小塚原刑場跡など

 ここのところ天気の悪い日が続きましたが、秋分の日は久しぶりに晴れ間も出たので散歩に出かけまし

た。

 常磐線北千住駅より一つ手前の南千住駅で降りてすぐのところに「回向院」というお寺があります。


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 このあたりは江戸時代の「小塚原刑場」の跡地にあたります。当時は幅60間(約108m)、奥行き

30間(約54m)、約1800坪の敷地だったそうです。

 ここでは火罪・磔・獄門などの処刑がおこなわれただけでなく、刑死者や行き倒れ者の埋葬も行ってい

ました。


 狭い境内に入ると一般の墓地は墓参りの家族連れでいっぱいでしたが、その隣にある史跡となっている

墓所を見学することができました。


 先日来、幕末ころの小説をいくつも読んでいたのですが、うかつにもここに吉田松陰の墓があることを

失念しておりました。史跡墓所の一番奥にあるのが吉田松陰の墓です。

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 家に帰り小説をひっくり返してみると、安政の大獄で逮捕され、伝馬町の獄舎で首切り浅右衛門に斬首

された松陰の遺体は小塚原の回向院に送られていたのでした。

 松陰の遺体は衣服もはがされ四斗樽に入れられていかにも無残な状況だったといいます。


 かけつけた桂小五郎伊藤俊輔(博文)らが獄吏から遺体を受け取り、遺体を清めたあとここに埋葬

し「松陰二十一回猛士墓」と彫らせた墓石をたてました。


 その墓石はその後幕命により壊されたようですが、現在の墓碑銘も同じ文字が彫られています。

 この墓所には安政の大獄でやはり処刑された橋本左内頼三樹三郎の墓もありました。
 

 こうした幕末の志士のお墓だけでなく、なかには鼠小僧の墓もありました。彼も逮捕されてここで処刑

されたのでしょうか。

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 幕末からさらにさかのぼった明和八年(1771年)、蘭学者杉田玄白前野良沢らは刑死者の腑分

けの際、オランダ語の解剖書「ターヘル・アナトミア」を持ってきて、実物とひき比べその正確さに驚愕

し、翻訳を思い立ったことは学校の教科書でも習いました。

 その腑分けが行われたのがこの場所だったのですね。境内にはその記念碑があります。いわばここは近

代洋学の発祥地のひとつでもあるのですね。

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 回向院を出て浅草方面にぶらぶらと歩いていきます。

 道路の交通安全の看板が少し妙ですね…「寝込み?」

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 何やら年配の男性があちこちに。朝から酒を飲ませている店も。路上で酒を飲んだり寝ている人も…。

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 このあたりがいわゆる山谷なのですね。一泊2000円~3000円程度の簡易宿泊所が軒を連ねてい

ます。


 今日は祝日なのであまり人を見かけない…と思ったら、とある横丁に大行列ができていました。

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 どうやらキリスト教の教会に向かう列のようです。教会の活動としての食料品の提供などがあるのかも

しれません。景気が悪いこの頃は、ここで暮らすのも厳しいものがあるのでしょう。


 そうかと思うと白人のバックパッカーの姿もちらほら見かけます。

 日本には海外のように節約旅行者向けのゲストハウスがほとんどないので、このあたりの安宿のうちこ

ぎれいなものは外国人に人気のようです。

 このホテルは1泊2500円。ドアには英語の掲示が張ってありました。


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 さらに浅草に向かってふらふらと歩いて行くと今度は妙な建物が目に入ってきました。

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 玄関に「イスラム文化センター」と書いてありましたが、モスクにもなっているようです。なんだか

花やしき」風の建物にも見えますが、それはともかく、このあたりにもムスリムが住んでいるのでしょ

うね。下町もどんどん国際化しているようですね。


追記:回向院に葬られた吉田松陰の遺骸はその後現在の世田谷松陰神社に葬られたそうです。こんどは

そっちも行ってみようと思っています。(9/24)