パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

2006年1月6日④ ホテル到着から夕食へ

        (この旅日記は2006年1月にバンコクを一人旅したときのものです)
 
 人ごみの中を数分歩くと目的のソイ15に行き当たった。ここを左折して150メートルのところにホテルがあるはずだ。角を曲って細い歩道の上を進む。段差の大きい歩道だ。歩道沿いの洋服屋と土産物屋の店員に声を掛けられる。インド系の店員のようだ。器用な日本語だ。何で日本人と分かるのだろうか。この2人には、このあとも店の前を通るたびに声をかけられた。
 
 すぐにマンハッタン・ホテルに着いた。ロビーは思っていたよりも広い。建物もきれいである。フロントも広い。今まで個人で泊まった外国のホテルの中では一番ゆったりとした雰囲気である。
 フロントマンにヴァウチャーを渡してチェックイン。リュックひとつの荷物なのでボーイはつかない。その分チップも不要で却って気楽でよい。
 
 釜山では部屋にはいるやいなや、ボーイに「オンナイランカ」としつこく声をかけられ閉口したことがあった。ただし、いらないと断っても「深夜特急」のように「アンタユウキナイネ」などとは言われなかったが・・・。そういえばあの「深夜特急」の舞台はたしかバンコクだったはずだ。
 
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 エレベーターで4階に上がり、広い廊下を歩いて417号室に入る。部屋の広さに驚く。ベッドも大きなのが2台。ツインのシングルユースというわけだ。
 
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 ビデはついていなかったが、バスルームも広い。テレビもちゃんとある。これで朝食付きで一泊4000円はお値打ちである。インターネットでみると1,300バーツ(約3,520円)なので直接予約するとさらに安くなるのだろうか。部屋にも満足し、荷物を解く。やれやれ、やっと目的地に無事到着である。
 
 下着類をタンスに整理し、いよいよ散歩に出発。時刻はもう夕方であるがさほど暗くなってはいない。
 スクンビット通りに出て西へ、BTS(スカイトレイン)のナナ駅方面に向かって混雑する歩道を歩いていく。道端の黄色い公衆電話でカードを使って電話をしようとしたが、どうもうまくいかない。このプリペイド式はイタリアでも不具合だったのだ。いやな予感があたってしまった。仕方なく電話はあとにして散歩を続ける。
 
 ホテルの近くの新聞の売店で絵はがきと切手を買う。店のおやじに聞くとテレカもあるというので300バーツで購入。これは普通のやつだ。英語で「ハガキ・クダサイアルネ。テレホンカード・ウル・アルカ?」とたどたどしく聞いたせいか、金を払ったら
日本語で「ド~モ~アリガトウネ」と言われてしまった。
 さっそく公衆電話で国際電話にチャレンジ。無事自宅につながり、到着の報告完了。
 
  
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 今度は反対の東側に、BTSのアソーク駅に向かって歩く。道は到着した頃より人通りが多く、ゆっくりでないと歩けない。両側の露店はTシャツや土産物が満載。この辺りは大小のホテルが多く、外人観光客が多いので彼らを目当ての露店なのだ。あちこちで色の浅黒いおじさんが、裸の女の写真が載っている紙をひらひらさせながら、一人で歩いている男性に声をかけている。タイ式のポン引きなのだ。
 
 アソーク駅までは歩いてすぐの距離だった。この辺りのスクンビット通りは片側2車線の車道の上にBTSの高架がずっと走っているので分かりやすい。「地球」ではBTSのことを通称「スカイトレイン」と呼ぶと書かれていたが、たしかに地上から見ると空を走る電車なのだ。
 
 エスカレーターで2階に上がると切符売り場や小さな店や改札口がある。自動販売機はコインしか使えないので窓口で行き先を告げて紙幣を出すと必要なコインに両替してくれる。窓口では切符は売ってくれないのだ。
 
 自動販売機は行き先の駅のボタンを押すとモニターに料金が示され、コインを入れていくとだんだんに表示金額が減っていき、ゼロになると切符が出てくる。切符も紙ではなく、テレカのようなプラスチックのカードである。香港の空港から香港島をつなぐ列車と同じようなカードだ。あとで気が付いたことだがカードは下車時回収され使いまわしされる。販売の都度磁気で行き先等を処理するのだ。したがってカードを破損すると罰金が科せられる。
 
 
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    発着ホームはさらに1階上り3階にある。広い。地上からはかなりの高さである。なるほどスカイトレインなのだ。
    車両はモノレールではなく普通の線路の電車である。まだ新しいのでピカピカである。乗り心地もよい。ただ椅子はプラスチック製である。路線が短く、長時間乗ることがないからだろう。車内アナウンスはタイ語と英語で分かりやすい。このBTSのスクンビット線にのってサラデーン駅に行き下車する。
 
    1日目であり、だんだん暗くなってきたので特に目的があったわけではないが、街の雰囲気に慣れようと思ってここまで出てきたのだ。サラデーン駅のすぐ下に日本でも有名なパッポン通り、タニヤ通りがあることを調べておいたので散歩代わりにここに来たのだ。
  
   いつの間にか辺りはもう真っ暗。駅を出るとすぐタニヤ通りの入口のアーケードが目に入った。目に入るはずで,大きな日本語で「タニヤ通り」と書かれている。ここは「タイにいる日本人がタイに来た日本人を接待する」クラブや料理店が立ち並ぶ通りとして有名なのだ。広い道の両側の建物の看板は日本語だらけ。立ち止まって看板を見ているだけならここがバンコクだとはわからない。異様な光景だ。
 
  そうかと思うと通りの中ほどを右に曲ると屋台が居並び、地元の老若男女が夕食を摂っている。料理の名前はわからないが、日本では見たことのない料理だ。臭いも強烈である。クモクニマツリ(雲國祭)である。うひょひょー。本当はこういうところで食事をしたいが短期間の旅では体調がこうした強烈な料理にはついていけそうにもない。今日は見るだけにしておいた。値段はとっても安そう  だ。それにしても「うひょひょ」な臭いだ。
 
 タニヤ通りを一本西?東?に行くと、ここも有名なパッポン通りである。東京なら歌舞伎町、名古屋なら錦に匹敵する怪しい通りである。日本人向けの店だけではないようだ。もともとはベトナム戦争当時の米兵相手の商売で発展した街なのだろう・・・。
 
 旅の疲れと異様な雰囲気と「うひょひょ」な臭いに圧倒されたので引き上げることにした。
 
 サラデーン駅からBTSに乗って戻る。平日なので車内には通勤や通学の乗客が多い。学生は制服が多い。暑いせいか背広姿のサラリーマンを見かけることはほとんどない。色の濃い、ゆったりとした長袖シャツにノーネクタイ、黒いズボンに革靴というのがよくみかけるサラリーマン姿だ。若い女性はスタイルがよく、しかも胸の大きい人が多い。思っていたより色白の女性が多い。色が白いほうがよい職業につける機会が多いのはタイのことだったか、他の国だったか・・・。
 
 車内では香港同様、携帯電話がかけ放題だ。見ているとメールはあまりやっていない。日本だとじっと黙って携帯を見つめながら打鍵している姿が普通だが、ここではとにかくやかましい。
 
 「もしもし」は「ハロー」と応える人が多いようだ。タイ語にも声調があるように声の感じは広東語に似ていてやわらかい感じがする。ふんわかした語感というのは東南アジアの共通項なのだろうか。中にはイヤホーンをして携帯電話を離して通話している人もいた。傍から見ていると大声で独り言をしているみたいで不気味である。
 
 車内の空調は寒いくらいだ。これは他のビルも同様だったが、どうもタイ人と日本人では温度感覚が違うようで車内では長袖シャツが必要だ。このあとも電車内やビルに入るたびに思わず「寒い!」と漏らしつづけた。
 
 駅に近づくたびに駅名を車内放送する。同じ駅名でもタイ語と英語では随分発音が違う。車両とホームの間に隙間があるので注意するよう毎回アナウンスがあるが、妙に発音がきれいなので印象に残った。
 
 窓が大きく、高いところを走っているので、車内からの眺めはよい。だが、外から窓を見ると遮光処理されているのか中はよく見えないようになっている。
 
 夕食を食べようとホテルへ続くソイの角にあった鳥の焼いたものを食べさせる料理店・・・と言っても庶民的な店で道に向かって扉もない店だが・・・に行ったが、テーブルが空いていない。1組2人の白人が待っていたのでその次に並びたい旨を手まねで店の主人らしき老人に伝えると、手を横に振って「駄目!」だという。さらに待っている白人をさかんに指差している。意味が飲み込めなかったが、しばらくすると白人の仲間が数名どやどやとやってきた。つまり、人数が多いので空かないよ、ということを老人は言いたかったのだ。
 
 仕方がないので、スクンビット通りの向こう側のソイに「地球」でみた「キャベッジズ&コンドーム」という妙な名前のタイ料理レストランがあるのを思い出し、横断歩道橋を渡って通りの向こう側に出る。ちょうどマンハッタン・ホテルと反対側くらいの位置にレストランがあった。
 
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  入り口も広く,思っていたよりは随分立派で大きなレストランだ。受付で一人であることを告げると中に案内された。食事をするかお茶だけか聞かれたので、「ゴハン・タベタイアルネ・オサケモノミタイ・アルネ」と言ったがしばらく通じず。錆びはまだ落ちない。部屋の中か外か希望を聞かれたので、迷うことなく外を希望し、広い庭で人口の小さな滝の前の席に案内される。
 
 気温も高くなく、涼しい。隣の席では白人男性が一人で食事。あとは家族連れが多いが,白人だらけだ。
 
 アジア的な音楽が流れているな、と思ったら生演奏をやっていたのだ。なかなかいい雰囲気である。ビア・チャン2本とえびの炒め物、チャーハンを注文。時間をかけながらゆっくり食べる。帰り道の途中で買った絵葉書を書きながら食事する。ようやく落ち着いた気分になった。
 
 このレストランは元タイの副首相の経営する店で、その副首相がエイズ撲滅運動に力を入れ、コンドームの普及にも熱心だそうだ。それが店名の由来とか。そのせいか、会計のときコンドームをひとつくれた。家族連れの子供にも渡すのだろうか。
 
 ウエイトレスがテーブルになにやら紙を配って歩く。
 
 見るとインド洋大津波の被災者救済のための寄付を募るレターであり、賛同する人はメールをくれるよう訴えている。
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 支払いは席で行う。ウエイトレスに勘定を言いつけると、勘定書きを持ってくる。510バーツ。1,386円。チップを90バーツはずんで600バーツ,日本円で1,630円を置いて店を出る。
 
 帰りの道は暗い。その暗がりの中で屋台では地元の人が食事をしている。小さなテーブルと椅子が道端に用意されているのだ。レストランとは大きな差である・・・。
 
 途中にあるセブン・イレブンで水を買いホテルに戻る。水は大瓶で13バーツ、小瓶で7バーツ、併せて544円は少し高いか。
 
 ホテルに戻り、部屋に設置されたセーフティー・ボックスを試してみる。一応頑丈ではあるが、フロントにもあるならばそちらにすることにしよう。
 
 シャワーを浴び,テレビをつけるとNHKのニュースを放映しているではないか。他のチャネルを回してみると英語・仏語・中国語・タイ語・独語の番組が放送されていた。さすがは国際都市である。外国人が沢山宿泊するホテルのため国際放送が流されているのだ。
 
 NHKは生放送だが、当然時間が2時間ずれている。はじめはそれに気がつかず、時間が違うため録画だとばかり思い込んでいた。
 
 疲れたのでベッドに入る。
 
 午前1時30分に突如携帯電話が鳴り出す。7日は午前6時30分にパンダバスが迎えにくる。5時半に起きるために2時間戻して3時半に携帯の目覚ましを合わせたのだが・・・。
 よく考えたら、合わせた3時半はあくまで日本時間だから、現地時間に直すと午前1時半であり、まさに時間どおりに携帯が鳴り出したのだ。なんともややこしいことだ。