パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

2006年1月7日 ① パンダ・バス市内半日観光へ

       (この旅日記は2006年1月にバンコクを一人旅したときのものです)
 
 うつらうつらしているうちに朝となった。着替えをして、パンダバスが迎えにきてもすぐ出発できる準備を整えてフロントに行く。フロントにセーフティ・ボックスがあるか尋ねるとやはり部屋に備付のを使用して欲しいとのこと。「部屋のは安全か?」とはさすがに聞きかねた。
 
 朝食の会場を尋ねるとフロントのすぐそばだと教えてくれた。ホテルの従業員が入り口にいてクーポンを受け取る。クーポンに名前を書き忘れたのでその場で記入する。
 
 朝食時間は6時からと早い。家族旅行でとまったローマのホテル・マディソンは確か7時半くらいからだった。
 通常はカフェかレストランなのだろう。会場は広い。バイキング形式であるが、どちらかというと冷たい食材が多かったマディソンの朝食に比べると、このホテルは果物も含め、食材は豊富である。洋食であるが、タイの料理もちゃんと用意されている。
 ナンプラーと思われる調味料を入れてタイのスープ(名前はわからない)は美味であるが,やはり辛い。目がすっかり覚めてしまう。
 
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 ゆっくり朝食を摂り、6時半になったので、ロビーで待っていると、小型バンがホテルに乗りつけ、タイ人の女性がロビーに入ってきた。声をかけるとパンダバスの職員だった。日本語は上手であった。約束の6時半にこちらがロビーで待っていたので少し意外だった様子。おそらく時間どおりに来ない客が多いのだろう。
 
 これから何軒かホテルを回ってバスの停留所に行くことになった。名前を教えてもらったが、忘れてしまった。まだ少し暗い街中を走っていく。あちこちの路地の屋台で大勢の人が朝食を摂っている。暗黒街の朝食だね。早朝の街を歩いている白人も少しみかけたが、ここをビーチと勘違いしているような格好が多い。
 
 どこを走っていくかわからなかったが、しばらくしてホテルについた。彼女は客を迎えにホテルに入るが、なかなか帰って来ない。男性の運転手は日本語がだめなので英語で「コノホテル・ナマエ・ナンデチュカ?」と聞くと、「バイヨーク」だという。あとで「地球」で見たらバンコク一、もしかしたら世界で一番背の高いホテルだという。遠めで眺めるとなんだか細長いホテルで上にいくと不安になるのでは、と余計な心配をした。
 
 ようやく客が現れた。家族連れで子供はまだ小学生くらいだ。別のホテルでもう一人若い女性を拾い、さらにバスの待合せ場所に向かう。このメンバーが同じ午前中のバンコク市内観光に行くのかと思ったら、それぞれ別のコースであることがわかった。
 しかも、家族連れはバスでなく、このバンで観光し、このタイ人女性がガイドするとのことであった。女性一人はアユタヤヘ行くという。
 
 ガイドがわれわれに向かってなにやらバスの番号を言っていた。意味が呑み込めず、気にしなかったが、あとでわかったが、バスのナンバープレートのことだった。日本語で言ってくれたのに、それすら理解できなくなってきている。日本を離れてわずか2日なのに。
 
 バスの待合せ場所はオリエンタル・ホテルの隣にある。ここでバンを降ろされ、言われたナンバーのバスが来るまで待つこととなった。パンダバスの営業所がこのホテルにあるのだ。一人旅の女性と雑談。彼女のバスが先にきた。
 
 ホテルでトイレを済まし、待合せ場所で出会った同じツアーに行く大学院生2人連れに写真をとってもらう。
 この2人はバンコクで遠隔操作の研究を済ませ、帰国する前の2日間だけ観光するとのことだった。小生は名古屋に単身赴任していて「妻に遠隔操作されている」と言ったら笑っていた。
 
 何台ものバスが来るが,目的のバスはまだ来ない。もう午前8時は回っていて、なんだか眠くなってしまった。
 
 アユタヤやカンチャナブリ(「戦場に架ける橋」で有名なクワイ川のあるところ)方面のバスには大勢の人が乗っている。パンダバスは日本語定期観光バスなので乗客は全部日本人だ。若い人も老人もいる。やはり女性が多い。
 わが市内観光午前中ツアーは予約総勢12名。だが実際に来たのは9人だけで,3人は連絡がないまま見切り発車。どうやら欠席のようだ。
 
 午前7時40分,前置きが長くなったがようやく市内観光に出発。有名な寺院のある地区はBTSや地下鉄のMRTも通っていないので交通の便が悪い。効率的に見てまわりたい、と思ってパンダバスのツアーに申し込んだのだ。
 
 バスの一番前に陣取る。バスの中はやはり寒く,冷房を少し弱くしてもらったほど。長袖で正解である。バスはファランポーン駅・チャイナタウンを進む。チャイナタウンには写真で見たとおり、「・・・金行」という金を売る店の大きな看板が沢山でている。
 大きな川に向かうがそれがチャオプラヤー川だ。女性ガイドはトウさんという。昔学校では「メナム川」と教えられた川だ。トウさんによれば、タイ語でメナムは「川」の意味だそうな。
 
 長い塀のあるところでバスは停車。ここはあとで見学する王宮だとのこと。そこから歩いてすぐのところに川の渡し場があった。このあたりはかなり下町風の雰囲気で、屋台も出ている。クモクニマツリな臭いがただよっている。木造の船着場の建物をくぐるとすぐにチャオプラヤー川だ。ここはター・ティエンという名の渡し場である。渡し舟以外にもチャオプラヤー川を往復する船の発着場でもある。
 
 トウさんを先頭に船に乗り込む。窓口でトウさんが金を払うのを見ると、一人あたり2バーツくらいの料金のようだ。
 
 小さな渡し舟がわれわれを待っていた。乗り込むとすぐに出発。川は茶色をしており,波は結構荒い。風が少し吹いているので涼しくて気持ちがよい。スターフェリーのような風情はないが、その分値段も安いということか。最初の目的地の「暁の寺」は対岸の渡し場の目の前にあった。
 
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 「暁の寺」、別名ワット・アルンは対岸のトンブリー側に位置する寺院である。写真の仏塔は高さ75メートルあるという。仏塔の表面は砕いた陶器の破片で装飾され、飾り付けられた石造は他の寺院同様インドのラーマキエンに登場するものだという。