パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

2006年1月7日② パンダ・バス半日市内観光 ~王宮へ

       (この旅日記は2006年1月にバンコクを一人旅したときのものです)
 
 境内というのか、敷地はそれほど広くはない。ただ,平日のためか観光客もわれわれ同様のバスツアーの日本人観光客が数組と外国人の観光客が少しで空いていた。
  トウさんに写真を撮って貰ったり、観光客同士で写真を撮り合ったりする。20分位の見学だが、気のせいか随分ゆったりと時間が過ぎた気がする。
 境内の順路の最後にはしっかりと土産物屋もあったが、店員も無理に勧めるわけでもなく、のんびりとしたもので特に買わなかった。
 
 チャオプラヤー川の船着場では小船が海藻の回収作業を行っている。川辺で写真を撮る。アマルフィで撮ったのと同じような場面の写真だ。あの時も冬だったが、服装は大違いでである。
 
 対岸に戻り、次に向かったのがワット・ポー(涅槃寺)である。
 この寺院の呼び物は何と言っても金色に輝く仏陀の涅槃像だ。長さ46メートル、高さ15メートルという巨大さである。巨大な扁平な足の裏にはバラモン教の宇宙観が螺鈿細工で描かれている。このスポットから写真を撮るのが一番人気である。
 建物に入るときは靴を脱いで上がる。これまで海外で履物を脱いで入場した記憶はあまりない。やはり仏教国ならではの習慣なのだろう。
 涅槃仏は英語ではRECLINING BUDDHAと解説されている。なるほどと感心する。日本の仏像と表情は相当異なり、直線的な感じがする
 
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仏陀の後ろには108個のお釜みたいな金属の鉢が並べられていて、端から一つ一つに小銭を入れて全部の鉢にお金を入れるとご利益があるそうだ。地元の人らしい男女が何人か列を作って順番に金を入れていく。
 
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 表に出るとタイの小学生の遠足なのか制服を来た小学生の一団がオレンジ色の僧衣をまとった僧侶に寺院の解説を聞きながら、涅槃仏の見学をするところにでくわした。白人観光客は大喜びで彼らの写真を撮りまくる。
 
 
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 最後のコースがワット・プラケオと王宮である。ワット・プラケオは1783年にラーマ1世がバンコクに遷都すると同時に王朝の守護寺・護国寺として創建されたものである。本堂にはうすく青く輝く小さなエメラルド色をした仏像が祭られている。別名エメラルド寺院と呼ばれる所以である。実際にはヒスイで仏像は作られているそうだ。タイではもっとも格式の高い寺院であり、王宮の敷地内にある。
 
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(自宅に送った絵葉書です)
 
 
 最初にバスが停車したところに戻り小さな門をくぐると塀に囲まれた王宮の敷地に入ることができる。
 外から見ると判らないが,広大な敷地である。これまでの寺院と異なり、バンコクの観光スポットでもっとも有名なところであるため、観光客が断然多い。団体もかなり来ているようだ。それでもトウさんに言わせると平日なので随分観光客は少ないという。また日曜日は敷地内にあるワット・ポーの本堂には入場できないので今日のお客様は幸運だ、とさかんに言っていた。
 
 観光客が多い分、ドロボーも多い。日本人観光客パンダバスの客も含め,しょっちゅう財布や貴重品を盗まれているという。
 入り口の係員から昨日も日本人が二人スリの被害にあったと告げられた、とトウさん。尻のポケットに入れているものは前のポケットに入れ直すよう,鞄は身体の前に持つよう何度も注意される。
 
 敷地内のところどころに兵隊が警備をしている。ある宮殿の前では白い服・ヘルメットをかぶった儀丈兵の衛兵交代の儀式を見ることができた。二時間交代だそうだ。二時間警備する間,身体を動かすことが許されていないため、観光客が次々に隣に並んで写真を写している。人気のあるスポットのようだ。
 
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 儀丈兵の銃には弾巣が装填されていなかったが、戦闘服で警備についている兵隊は実弾を装填したM16ライフルを持っている。
 タイでは19歳になると,兵役に就くことが、くじ引きで決められるそうだ。運悪く?兵役に就くことになると2年間の軍務だという。毎年このくじ引きをめぐっては悲喜交々のドラマが展開されるという。
 
 「地球」で読むとあまりピンと来なかったが、実際に歩いてみるとチャオプラヤー川の対岸がトンブリ王朝で此岸側がバンコク王朝というのがよく理解できた。大きな川が国境みたいな役割をしていたのだ。
 
 無事観光を終わりバスに乗って解散地点のインターコンチネンタル・ホテルへ向かう。この時間帯はバンコク名物の交通渋滞の真っ只中で、たいした距離ではないはずなのに30分以上もかかってホテルにたどり着いた。