パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

2006年1月8日⑤ ルンピニ・スタジアムでムエタイ観戦

     ( この旅日記は2006年1月にバンコクを一人旅したときのものです )
 
 スタジアムは大通りを渡った向こう側にあるが、横断歩道がないためルンピニ駅から少し歩いたところにある横断歩道橋まで行って渡らなければならない。日差しが強くなり、気温も上がってくるとそこまで歩いていくのも苦痛になってくる。歩道橋そばのCDショップでは大音響で音楽を流している。
 
 歩道橋の上に出るとと屋根がついていて布を敷いて商品を並べた物売りがびっしりと並んでいる。屋根があるので暑さが多少凌げるのだろう。道路を見ると車でいっぱいであり相当の混雑である。
 
 歩道橋を降り、方向としては駅のほうへしばらく戻る形で歩いていく。世界の旗がはためいているところがスタジアムだ。建物自体は古く、空調がないのか上部の窓は開け放し、というより窓でなく柱だけだ。値段と開催日を確認しようと窓口らしきところに行くと、中から中年の女性が出てきてあやしげな日本語をあやつって話かけてきた。
 
 聞いてみると今日は午後5時から試合があるという。値段を聞くとリングサイド・座る席・立ち見とランクがあるという。リングサイドの料金は「地球」の通り、1500バーツ(約4100円)と高いが、外国人料金なので仕方ないか。両替をしたばかりでもあり、結局リングサイドで「座る席」を予約し、予約を書いた紙を貰う。
 
 試合開始時刻午後5時まではまだだいぶ時間があるのでいったんホテルへ帰り、シャワーを浴びて仮眠を取る。
 目がさめると時刻は午後4時30分。慌てて着替えをし、セイフティーボックスだけは施錠したことを確認してホテルを出る。
 
 時間通りに着かないとまずいかどうかわからないが、とにかく午後5時を目指して地下鉄のスクンビット駅まで急ぐ。急ぎのときは道を塞ぐ露店やポン引きのおっさんがうとましくなる。
 
 地下鉄のルンピニ駅に着いたが、こういう時に限ってエスカレーターのない出口に出てしまい、階段をヒーコラいいながら登る。通りに出てからも、また駅から遠い横断歩道橋まで行って渡り、戻ってくる。駅前に横断歩道があればスタジアムは目の前なのに…。大声で日本語で文句をいいつつ汗をかきかきスタジアムを目指す。
 
 午後5時きっかりにスタジアムに到着すると、入口の前でさっきのおばちゃん始め大勢の人が立ったままで音楽を聞いている。こちらに気づいたおばちゃんは「ちょっと待ってね」と仕草で示している。
 
 タイでは一定の時刻に国家かあるいは国王を称えるらしい音楽が流され、直立不動で聞かなければならないことを思い出した。午後5時というのはそういう時間なのだろうか。
 
 ほどなくして音楽が終わり、皆ホットした様子でスタジアムの中に入って行く。大半が外国人観光客だ。
 
 おばちゃんに案内され、受付で金を払いパンフレットと木製のキーホルダーを貰い、リングサイドの席に連れて行ってもらう。リングサイドといっても席はパイプ椅子だ。ただ席は本当にリングサイドである。日本人も含め白人など観光客ばかりである。他の席を見ると地元の人も若干いるが、客はスタジアムの大きさの割には多くはない。
 
 上の席の窓は外から見たとおり素通しとなっている。天井から大きな扇風機がぶら下がりのんびりと回っている。やはり建物はかなり古そうだ。沖縄でハブとマングースの一騎打ちのショーを見たことがあるが、その競技場というか闘技場にちょうど雰囲気が良く似ている。あとでパンフレットを見たら別の場所に新しいスタジアムを建設中のようだ。
 
 
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 試合は全部で9試合。1試合目は国際式ボクシングだったが、あとは全部ムエタイ=キックボクシングだった。ムエタイはKOシーンはあまりないものと期待していなかったが、結構殴り合うシーンも多く、KOも何試合かあった。
 
 隣にあとから来た日本人がひとり両手にビールの紙コップを持って座る。カオサン通りと同じはめになっているのだ。
 
 ムエタイのときに日本人から見ればたいした事のない膝蹴りのたびにコーナーにいるセコンドや後ろの立ち見席の地元のおやじたちが大騒ぎをしている。賭けているのだ。
 
 KOはもちろんだろうが、手数がものを言う判定で勝負が決まることが多いので一蹴りごとにやかましくなるのだ。リング上の選手よりもセコンドやおやじたちを見ているほうが面白い。
 
 2試合目のムエタイのラウンドの合間に、切符を売ってくれたおばはんよりももっとあやしい日本語をあやつる美人の中年女性が日本語で解説をする。このときだけかと思ったら、ラウンドごとにずっと日本語で解説をする。今日の観客は日本人だけでないのに、と思ったが、逆にそれだけ普段は日本人観光客が多いためのサービスなのだろう。
 
 その解説によると、選手のファイトマネーは5000バーツから10000バーツ (約13500円から約 27100円)だという。試合の1週間前から選手はノーセックスを命じられるという。全国にムエタイのジムは千箇所以上あるとのこと。タイでは義務教育が中学までなので、選手も義務教育終了後の15歳頃からキャリアが始まり、30歳くらいで引退するという。今日の選手も十代の選手がかなりいたようだ。
 観客の日本人は若い人が多いが、30年以上前に日本でキックボクシングが大流行していたことをどれだけの人が知っているのだろうか。
 
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 トイレに行く途中の広間は選手の控え室にもなっていて、選手と写真をただで撮れるとさかんに宣伝している。ルンピニ・スタジアムは陸軍系でライバルのラーチャダムヌーン・スタジアムは国王系だというが、系が何を意味しているかはよくわからなかった。
 
 たっぷり3時間の試合を見終わって外に出ると沢山のひとだかり。これから第2部の試合があるのだ。遅い時間のほうはかなり客が多そうだ。白人観光客も沢山いる。
 
 大通りに出てそのまま通り沿いに右に進むとスアン・ルム・ナイトバザールに出る。広大な敷地なので、入口から店の並んでいるところまで行くのに少し迷ったがなんとか行き着くことができた。
 
 この一大バザールはウイークエンドマーケットほど小汚い店はなく、品揃えのよい、こじゃれた小さい店が、やはり狭い通路にいっぱい並んでいる。ウヒョヒョな臭いも全くしない。女性がいかにも喜びそうなスポットである。観光客だけでなく、地元の若い人も沢山来ているようだ。
 
 とある通路で見事なプロポーションの白人女性が目の前を通り過ぎるのを目で追っていたら、通路の向こう側の店の若い女性の売り子と目が合った。とたんに「オニイサン・ダイジョウブ?」と日本語で笑いながら声をかけられてしまった。テレ笑いするしかなかった。
 
 しばらくバザール内を散歩してから再び大通りに出て来た道を戻ってルンピニ駅でMRTに乗ってスクンビット駅に戻る。
 
 少しくたびれてきたが、下着の替えを買いに昨日も入ってみたインド人街のスーパーへ行き、安いシャツを買う。カウンターで食事を取れるカフェみたいなところはこの間は外国人で満員だったが今日は席を一つ確保することができた。
 
 ビールと魚を揚げたものと野菜とセロリーの入った具のぶっかけご飯を食べる。英語のメニューを見て、「カレー」だと思って注文したら、「セロリー」だったのだ。疲れてくるとアルファベットの読解力も落ちてくる。値段は92バーツ(約250円)であり、味もまあまあである。
 
 食事後スクンビット通りをふらりふらりと戻っていく。通りのあちこちにあるオープンバーからは凄く冷たい空気が流れてくる。強烈な冷房をかけているのだ。扉もないカウンターだけの店だが、奥には女性がたむろしていて、客は白人が多い。要するに外人相手の売春?バーなのだろう。値段も高いのではないだろうか。壁も扉もないので最初は不思議な店だなあと思っていたが、地元の人間にとっては見えない壁があるのがわかるのだろう。
 
 客待ちの女性を見るとタイ人なのだろうが、街中を歩いている娘と比較すると色も黒く、田舎風の感じがする。きっと山間部から売られて?出稼ぎにきているのだろう。女性はこうして生きる道もあるが、男性はそれこそ山間部では食うや食わずなのだろうか。
 
 ホテルに戻り、フロントの人にホテルから空港までのタクシー代を聞くと600バーツ(約1600円)だという。日本に比べると格安ではあるが、リムジンバスの6倍の料金だ。
 シャワーを浴び、さすがに疲れたのでベッドに入る。NHKのニュースをTVで見ながら眠りにつく。