パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

2006年1月9日② タイ国鉄試乗 往路

      ( この旅日記は2006年1月にバンコクを一人旅したときのものです )
 
 まもなく列車が到着。近い入口から乗車し、席に座っている男性に切符を見せると「車両が違う」という。ここは2等なのだ。3等の車両に移り、ボックス席に座り、隣の女性に切符を見せて確認した。
 
 3等席のせいか西欧人は見かけず、地元の人がほとんどのようだ。冷房はない。天井で旋風機が回っているが、窓を開けていればそれほど今日は暑くない。
 8時22分、定刻より少し送れて列車は動き出す。
 
 思わず目を疑ったのは、動き出した時、確かにまだドアは開いていたからだ。スピードが上がってからようやくドアが閉められた。満員だったらどうするのだろうか。
 
 出発するとすぐ車掌が来て改札があった。昔の日本の車掌が使っていたのにそっくりなハサミで切符に穴を開けていく。
 
イメージ 1
 
 狭いボックス席の窓際に座ったが、隣はさっき席を確認してくれた女性。前の2人は中年の男性。色黒で痩せていて髭をはやしている。日本でこの2人の写真を見せられ、「分離独立を目指すイスラム過激派のゲリラ…」と紹介されたらきっと信じていただろう。目つきが鋭い。
 
 ファランポーン駅を出るとトタン葺きのバラック集落みたいなところのすぐ横を通過する。ここは、今まで実際に見た中では最貧の暮らしのレベルのようだ。 
 家のまわりの水はけも悪そうで、水溜りというのかどぶ川というのか、虫がわいて臭いそうな状況である。住んでいる人も当然冷房がないから、半裸状態である。中心街のあの近代的なビル群や颯爽とした女性が歩いている姿とのギャップがはなはだしい。ファランポーン駅からたいした距離は離れていないのに。都市部でこの状況だと、貧しい農村部や山岳地帯はどんな状態なのだろうか。そんなひどい環境のところにも露店の食料品店があるし、小さな祠も祭られている。
 
 8時34分、サムセン駅到着。「地球」の地図を見ると一つ目の駅である。駅といっても狭いホームがあるだけで駅構内外の区分はきわめてあいまいである。駅舎らしきものも貧弱でもちろん駅員もいない。
 
 再び発車。窓を開けて走っているのでディーゼルエンジンの騒音がやかましい。やはりドアは走り出してから閉める…。
 
8 時42分。次ぎの駅らしきところに到着。「地球」の路線図と外の景色を見比べてキョロキョロしていたら前の席のムジャヒディンがにっこり笑って「バーンス」と駅名を教えてくれた。笑顔を見たとたん、彼の顔が普通のタイ人に見えてきたから不思議である。
 
 8時52分。バン・ケーン駅に到着。駅のホームに野良犬がたくさんいる。前の2人連れはここで下車し、ホームの椅子に腰掛ける。次ぎの列車を待つようだ。出発のとき、視線があったのでにっこり笑って手を振ったら、笑顔で答えてくれた。やはりゲリラではなさそうだ。
 
 8時59分。また駅に到着。随分とまめに停車するものだ。駅でないところにも停車するので空港駅まで距離のわりに時間がかかるようだ。
 隣に別の女性が乗り込んできて座った。「▲※∩&%?」と話しかけられたが、英語で「ゴメンチャイ・ハナチ・ダメ・アルネ」と答えると、ニッコリと笑顔を返してくれ、逆に彼女のほうから「ラクシー」と駅名を教えてくれた。タイは微笑みの国といわれるが、どうやら観光関係者だけでなく、庶民もそうであるようだ。
 
 9時6分、ようやくドン・ムアン駅到着。停車するときドアのところに立っていたら、乗客がボタンを押してドアを開けるのだよ、と身振りで教えてくれた。
 
 駅そのものは小さなもので田舎の駅という感じ。スロープを伝わり、階段を上がると空港の建物につながる通路に出る。右へ行くとホテル、左へ行くと空港である。ホームから空港まで数分である。