パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

2006年1月9日⑤ 成田空港へ

      ( この旅日記は2006年1月にバンコクを一人旅したときのものです )
 
 午後3時、ホテルに戻る。少し休んでフロントにハガキの投函を頼んだら、どうやらいつも買っている切手では金額不足のようで、ホテルではちゃんと日本に着くか保証できないので街のポストに投函してくれ、と言う趣旨のことを英語で言われた。おいおい、今まで投函してきたハガキは届かないのかよ。イタリアでも切手の値段は店や土地によって微妙に違っていたが、いい加減なイタリアだけかと思っていたが、タイもなのだろうか。
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       (自宅に送った絵葉書の切手です。12バーツでちゃんと届いてました)
 
 
 それ以上英語で交渉するのも面倒なので、外のポストに投函がてら散歩に出かけることにした。
 でかけようとして、このホテルに雑貨の店があることを「地球」で読んだことを思い出し、2階に行ってみる。
 
 小さな店であったが、オリジナルのバッグや雑貨類沢山売っている店があった。客はいない。売り子がひとり。ネクタイを見ると400バーツ(約1100円)もする。値段が安いものばかりここ数日見てきたので1000円でも高い気がしてきた。
 結局、小さな象の線香たてとお香がセットになった土産を買い、部屋に置いてから、散歩に出る。
 
 このときもスクンビット通りを歩いていったのだが、完全に方向を逆に捉えて歩いていた。毎朝早くからセカセカと歩き回っているので、疲労が澱のようにたまっているのだ。期間に余裕があった滞在であるなら、こんなに忙しく歩きまわらないのだが・・・。こうした短期・速攻散歩型の旅も体力・年齢によって限界がいずれ来るのだろう。
 
 郵便ポストに絵ハガキを投函し、ふらふらとスクンビット通りをさまよう。当てもなく激安スーパーみたいな店に入ったり、ロビンソンというショッピング・センター地下のスーパーを覗き、フードコートがあったのでここでもタイ・カリーの食事を摂る。その後も疲れているのに何かにせかされるようにスクンビット通りをさまよう。
いよいよ今回の旅も終わり…という実感がしてきた。
 
 値段は少し高いけれど結局600バーツのタクシーを予約して空港に向かうことにした。夜中の1時の出発なので夜の8時・9時まで街中で遊んでも充分間に合う時間なのだろうが、もう疲れてうろつきまわる気力も失せ、午後6時過ぎにはタクシーでホテルを出る。
 
 日曜日の夕方ということで、もっと時間がかかるつもりでいたのが、高速道路も空いていてものの15分くらいで空港近くまで来てしまった。
 
 途中の車中では運転手とお互いに第二外国語の英語で会話をする。彼によるとバンコクは半径が50キロの広さ、人口は1100万人くらいあるらしい。昔日本にきた国際式の世界チャンピオンのセンサク・ムアンスリンの名前をどういうわけか覚えていたので運転手に言ってみると、彼も覚えていて話がはずんだ。タイでは人気のボクサーだったようだ。話が盛り上がったところで空港に着いてしまった。
 
 思わぬ早さで空港に着いてしまったが、面倒くさいのでインフォメーションでカウンターを確認し、1番カウンターでチェックイン手続き。ところどころにモニター表示されている出発予定便は午後11時の便までで深夜の便はまだ表示されていない。
 
 チェックイン・カウンターの係員は受け取った航空券を見て、もうチェックインするのかと驚いた様子。街に戻るか聞かれたので、正直に空港内にいることを告げると半ば呆れ顔で手続きを進める。G席で通路側を確保。それはそうだチェックイン第1号だから希望の席は手に入るはずだ。
 
 手荷物のリュックも空港内をウロウロする時面倒くさくなったので預けようと思ったが、セキュリティ・チェックをしていないのでシールがなく、ちゃんと手続きを踏むよう係員に言われる。
 
 チェックイン・カウンターに入る前にセキュリティ・チェックをしようとしたら、機械の横にいた係官から、このリュックは持ち込みできるよと言われ、「いいのだ。預けるのだ」と説明するのも面倒くさいのでそのまま持ってきたのだが・・・。疲れてくると何もかも面倒くさくなってしまう。
 
 出発ゲートはまだ未定だが、チェックインも無事終了したのでひと安心。時間はたっぷりあるので空港内を散歩する。出発ロビーのベンチに、白い服・帽子・髭面、顔は日本人と大して変わらない風貌の大勢の集団が座っていた。そうチンギス・ハンの大集団なのだ。中国の奥地かモンゴル周辺の国からきた集団なのだろうか。ムスリムでもありそうな、なさそうな…なんとも不思議な集団である。平均年齢はかなり高そうだ。シルクロードの爺さん婆さん御一行様といったところだ。
 
 くまなく出発ロビーを散歩し、見慣れぬ風俗の人たちの所作を興味深げに眺めているうちに午後9時過ぎになったので空港内のイングリッシュ・パブという店で軽食を摂る。ビールとフレンチフライを頼んだが空港の飲食代はやはり高い。
 
 ようやくドン・ムアン空港内の雰囲気や位置関係が頭に入ったところだが、タクシーの運転手の話では新空港への移転予定があるとのことで、次回(?)奥様とバンコクに来る時は新しい空港に着陸するようだ。
 
 今回の旅の備品で結局使わず、不要だったもの。メガネに装着するプラスチックのサングラス。帽子。ラジオ。替えの下着。替えの半袖シャツ。たくさんのポケットティシュ。ブカブカの紺の綿パン。
 
 装着式のサングラスはBTSの駅でやはり日本人らしい中年男性が架けているのを見てなんと不細工かと思い、架ける気をなくしたのだ。綿パンはバンコクで棄ててきた。下着は3~4泊程度の旅ならば1セットあればよく、あとは街のコンビニやスーパーで買えば充分。それも記念になるからだ。スーパーのない砂漠やジャングルに行くなら別・・・そんなところは下着の替えそのものがいらないかな。
 
 こんなことをつらつら思い出し,考えながらビールをちびりちびりやっていると、先ほどまでの疲れも癒え、「旅に来てよかった・・・」という思いがだんだん復活してきた。考えたら縁もゆかりもない東南アジアのタイのバンコクの空港でビールを1人で飲んでいるというのも、中学や高校の頃には想像もつかない体験であるし、不思議なものだ。
 
 今回のバンコク散歩行では、観光スポットとして、王宮・有名ワット・ムエタイタイ古式マッサージ・散髪・BTS・MRT・国鉄(リムジン)バス・タクシー・渡し舟・カオサン通り・チャイナタウン・ショッピングスポット・フードコート・タイ料理・・・と体験・訪問予定としていたものはほぼクリアできたようだ。路線バス・トゥクトゥク・運河路線ボートは次回奥様と一緒のときにしようか。
 
 疲れが取れてくるとまた新たな好奇心が湧いてきた。好奇心があるうちが華である。
 店の中は小牧空港に来る時着ていた上着を着ていても暑くない。それだけ冷房がギンギンきいているのだ。
 
 空港の出国ゲートは相当の混雑である。まだ出発ゲートは表示されない。ウイング内のゲートは左右に別れているのだが、左右のウイングは道が通じているのかビル内の案内図を見てもいまひとつはっきりしない。反対側のゲートに行けない構造だと面倒である。思案しているとたまたまHISのプレートを掲げていた女性を見つけたので「モチモチ・ナカ・フロア・ツウジテマチュカ?」とたどたどしく英語で聞いてみるとちゃんと往復できるという。
 
 ビル内の散歩にも飽きたのでさっそく出国のための長い列に並ぶ。無事出国手続き完了。
 
 免税店では会社へのお土産とジム・トンプソンの「行ってきました」Tシャツを購入。お菓子の土産が以外に高額で、途中で金勘定が合わなくなり大慌て。どうやら自分の計算間違いのようだが、売り子の言いなりに土産を買ってしまった自分に腹をたてる。
 
 パスポートコントロールを出ても手荷物のX線チェックがないのでおかしいな、と思っていたら、あとでゲートのあるところ(pierと書かれていた。なるほどこういうところもpierを使うのか)で検査があった。このときリュックに入れてあったと思った小型の電卓がポケットに入っていたために検査に引っかかった。 
 電卓をそろりとポケットから出すと係りの女性が笑い出す。タイの女性は非常に感じがいい。日本の女性係官だったら「ちゃんとしまっとけい!」といわんばかりの仏頂面だったろうに。
 
 ボードでようやくゲートを確認して指定のゲート前で待つ。しばらくしてゲートの掲示板を見るといつのまに出発便の表示が消えている。あたりを見回すと左手前のゲートに「TG644便」の表示があった。バンコクは最後までなかなか気の抜けないところなのだ。
 
 残ったタイ通貨をスマトラ沖大地震もあったので全額ドネーションする。飛行機に乗り込み、すぐ眠りにつく。もう深夜である。 連日の疲れの為、途中で目がさめることもなく夜が明けた。
 
 無事日本到着。日本時間午前9時の日本の気温はマイナス1度。バンコクとの気温差33度以上。
 
いやいやお疲れの4日間でした。