パパグロッソの街歩き・一人旅

リタイア組です。身体は太いですが、ブログは細々と続けていきます。

旧東側シリーズ3回目はドレスデン

 ハンガリーブダペストチェコプラハ・・・。子供の頃はみなソ連の傘下のいわゆる共産圏、東側だった国・都市ですね。今日はその3番目として旧東ドイツドレスデンにやってきました。
 
 プラハを朝8時29分に出て、到着したのが午前10時50分頃。約2時間半の鉄道の旅でした。
 
 
 
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 街に出る前にDB(ドイツ鉄道)の窓口で明日のベルリン行きの座席を予約しました。今までの状況からドイツ国内なら座席の予約は不要だろうと思っていたのですが、今朝乗ったハンブルク行きの1等車は思いのほか混んでいたので、あわてて予約をしたのです。
 
 ベルリンのあとはいったんドイツを出てオランダに行くことにしましたので、ベルリン→アムステルダムの座席も予約しておきました。
 
  予約券を手に入れ、駅構内のツーリストインフォメーションで市内地図をもらい、目標の通りまで歩いてどのくらいか教えてもらってから街にでます。
 
 しばらくご無沙汰しておりましたが、ドレスデンのマンホールの蓋です。
 
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  ドレスデンといえば、なんといってもフラウエン教会をこの目で見てみたいと思っていました。
 
 
 この教会はプロテスタントの大聖堂として18世紀の半ばに建築されました。そいうえば目の前にマルティン・ルターの像がありましたね。
 
 1945年2月13日、連合軍によるドレスデン爆撃で教会も多数の焼夷弾を被弾し、教会の周囲と内部の温度は1000度に達したといわれ、爆撃後の2月15日についに教会のドームは倒壊し、柱は真っ赤に燃え、外壁は粉々になったそうです。
 
 
 
 焼けて黒ずんだ石材は共産主義政権の元では放置されたままでしたが、東西ドイツ統一後の2005年10月に教会は再建されました。
 
  
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 外壁のうち黒い石材はオリジナルのもので、白っぽい石材は新たに制作したものです。瓦礫となっていたひとつひとつの石材を元の場所に戻すという大変な作業の結果、ご覧の通りのまだら模様の外壁になっています。
 
 
 ドレスデンの旧市街に来て驚いたのは、フラウウエン教会のほかの教会や宮殿を見ても、やけに黒く煤けた感じがしたのです。
 
 今までイタリアはじめあちこちの教会などを見てきましたが、こんなに黒く煤けた建物を見たのは初めてでした。
 
 ドレスデンが火の海になったのですからフラウンエン教会以外の建物も爆撃で焼かれたのでしょうね。
 
 フラウンエン教会の壁に手を当てて白い石と真っ黒になった石を感触を確かめたとき、大勢の命も爆撃で焼かれたんだろうな・・・と思うと不覚にも涙がにじんできてしまいました。
 
 
 
 教会の裏側には大きな瓦礫がひとつそのまま展示されています。
 
 
 
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 この瓦礫が本来あったところを示す四角い穴の開いたクーポラの図が瓦礫に貼ってありました。
 
 
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 感傷にひたりながら散歩を続けているといい匂いが・・・全くわれながら現金なものですね。
 
 
 ドイツと言えばやはりこれですね。 ・・・そういえばドレスデンが実質は初めてのドイツですね。
 
 
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 焼きソーセージももちろんおいしいのですが、パンがカリッと香ばしくて美味しいんですね。
 
 これで2.50ユーロ。 ワタクシの指より太いですから相当なものですね。
 
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 ソーセージをほうばりながらエルベ川を眺めます。今日も日中はいい天気です。
 
 
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 このあと新市街も散歩し、市場を訪れたりしましたが・・・
 
 ドレスデンといえば、とんかつのまい泉・・・大もとい、陶磁器のマイセンがSバーンという郊外電車で40分くらいのところにあるとのことでしたので、夕方ちょっと行ってみました。
 
 
 
 のどかな田舎という感じでした。車窓から工場らしきところを見かけたのですが、ガイドブックもなく、観光地でもないようで駅周辺にツーリストオフィスもありませんでした。
 
 結局、駅の周りを少し散歩しただけに終わりました。まっいいか。
 
 
 
 マイセン駅の構内です。 
 
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 この緑色の壁は陶器でできてましたね。ようやくマイセンらしいところを一つ見つけました。 
 
 
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 明日はベルリンに移動します。